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「原発事故はなぜくりかえすのか」 [書物]

高木仁三郎著 岩波新書

高木仁三郎氏につきましては、原発関連の記事で、以前、こちらでも少しご紹介させていただきました。
日本原子力事業におられた方ですが、ず~っと、原発には反対の立場をとって来られた方です。

この本は、なぜか、私の息子の大学の教授が、お母さんに、と、突然貸してくださったもので、なにゆえ私に?と思いつつも、喜んで読ませていただきました。

実は高木氏の思想つきましては、他の書物からの聞き伝えのみで、書物そのものを読んでいませんでした。難しいことが書いてあるような気がしていたからです。
ですが、この本は、ぜひ、皆様にお勧めです。まったく難しくありません。途中ほんのちょっと専門的な説明にひっかかるかもしれませんが、原発、原子力の活用、というものが、いかに危険で、今の人類の手に負えないものであるのか、ということが、これまでの事故の例をあげながら、とっても分かり易い文章でつづられています。

1960年代、いや、それ以前からの、原子力政策への誤り、しなければならないのにしてこなかったこと、が、淡々と述べられています。
この本は、高木氏が亡くなる直前の2000年に書かれたものです。
そこに、まさに、福島で起きたことへの懸念が、全くそのまま、予言のごとく、書かれているのです。

「日本の原子力の欠陥というのは、上から押し付けられてきた開発の歪みに起因することは明らかです。日本固有の企業的一体性の中で、皆そこで飯を食おうとしているわけですから、なんとか成功させなければ飯が食えないと、運命共同体的なものを押し付けられる」(P58)
まさに、私たちが、福島原発事故以後、目にし、耳にしてきた、原子力ムラ構造です。これは、何かあったときに不正を選択し続けなければならなくなる究極のしがらみです。

「原子力はどうしてそんなふうになってしまっているのだろうかとよく考えます。私に言わせれば、末端と言うと語弊がありますが、別に国家の責任を背負っているわけではないはずの人までが、国家を背負っているような立場に置かれてしまっていることが問題です。もしも、国家の公式見解と違うことを言ったら、とたんにいろいろと文句を言われる状況がある。私自身の経験でもありますから、それは確かでしょう」(P61)
日本では、とにかく原発をつくるという結果が先にあり、そこに合わせた形の証拠固めを学者たちにさせていきます。それに合わないことを言う学者ははずされていく、ということです。

「たしかに原子力には明治以来百数十年の富国強兵の歴史が反映しており、国が技術立国的な政策をとって重化工業に力点を置いて巨大財閥を中心に産業を育て、それを富国強兵に使ってきたのと同じことを、縮図的に原子力でやろうとしたと言えるでしょう。いかにもそれは中曽根康弘という人の好みでもあったような気がします」(P65)

「要するに、国が原発推進ということを言っているときに、それに賛成しない、原発推進と言わないのはけしからん、そのような批判勢力には公益性はない、こういう理論なのです。これには私は、非常に腹が立ったというか、驚いてしまいました」
「人々が求めるものは何かというところから出発するのではなく、国家の法律の中にどう定義されているか、それを守る機関はどういう組織であるのかから出発して、その組織に従うことが公益であるみたいな、頭からの公益論ができてしまっている。これでは文化も教育もあったものではありません。ましてや個人の倫理などは、こういうところではあり得ない」(P121)
ここに書かれていることは、原子力だけでなく、日本のあらゆる仕組みに当てはまるということは、昨今の政治から、周知のこととなりました。
現在、憲法改正(改悪?)の話も出ています。まさに、公益に反することが制限されるという内容に変わっている部分があります。彼らの公益が、上記のことであるなら、民主主義とは名ばかり、ということになりましょう。

「調査には、厳しいチェックを行い徹底して究明する自己検証型の調査と、これ以上ひどいことにはならなかったということを立証したいがための防衛型と、二通りの調査があります。しかし、自己検証型の事故調査というのは、なかなか行われていません。それは公共性のなさとも関係しています」
「このことは同時に、第三者による検証を許さないという立場にもつながってきます。いつも身内で検査をするから、どうしても防衛的になり甘くなりがちです。事故調査委員会が作られる場合でも、科学技術庁が最初からある程度結論の大きな枠組みというか、おおよその方向性を想定し、その線にそって自己防衛的に働くような感じで事故調査委員会が形成されます。自己検証型で、場合によっては自己が破壊されるかもしれないくらいまで徹底して究明するような事故調査委員会は、ついぞつくられたことがありません」(P130)
「(人選について)それは一般的に政府の好みの人たちだという以上に、私が内うちにやり取りした際の感触からすると、最初からかなり緻密にある種の結論を内包するような作業をやって、それから人事を決めているという感じがあります」(P135)
これは、まるで、福島原発事故後に書かれたのではないか、と錯覚するくらい、どんぴしゃりの見解ですね。
でも残念ながら、高木先生は、もう、この世の人ではないのです。

「友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ」には、胸が熱くなります。
抜粋させていただきます。
「反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国・全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信からくる喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました」
「残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でも、それはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっているのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです」
「後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を終結されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆様の活動を見守っていることでしょう」

末期症状がずっと続いていたにもかかわらず、私たちは、福島原発事故まで、原子力について、いささか集中力を欠いていました。そうでない方々も多くおられたかもしれませんが、マスコミも含めて、原発の危険性、放射能というものがいかにコントロールできないものであるのか、ということを、忘れていませんでしたでしょうか?
3・11の震災直前まで、電力会社のオール電化のCMは、ものすごい勢いでテレビに流れていました。原子力の安全性の素晴らしさを誇示し、放射性廃棄物も地下に埋めるのでとっても安全です、というCMもありました。有名タレントたちを使って。
ものすごい刷り込み作業が行われていました。
そして、事故は起こりました。
高木先生の危惧は、現実になりました。一時、真剣に考えることもあった日本人でしたが、その火も今弱くなったように見えます。
自民党の拝金主義に期待して、そこにおまけまでついてくる権力主義に気づくことが大事です。

どうぞ、心あるメディアは、政府の代弁者にだけは成り下がらないでいただきたい、と強く望みます。

高木先生は、その遺言通り、見守ってくださっているでしょうが、予言通りになってしまったことと、この時から10年以上たった今も、全く改善されていないどころか、余計によろしくない方向へいこうとしている(悲劇を伴った気づくチャンスがあったのに)、あるいは、原子力にピリオドを打つことのできない日本人の、人類の、目先の欲望を選択してしまうという浅はかさが、高木先生を悲しませていることでしょう。

「原子力是非論以前に、原子力というのは、大きな潜在的危険性を持ったテクノロジーであり、そういうテクノロジーを開発する会社は重大な責任を負っているのだという公的な責任の性格が、しっかりと自覚されるべきではなかったかと思うのです」(P52)


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