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「原発事故はなぜくりかえすのか」 [書物]

高木仁三郎著 岩波新書

高木仁三郎氏につきましては、原発関連の記事で、以前、こちらでも少しご紹介させていただきました。
日本原子力事業におられた方ですが、ず~っと、原発には反対の立場をとって来られた方です。

この本は、なぜか、私の息子の大学の教授が、お母さんに、と、突然貸してくださったもので、なにゆえ私に?と思いつつも、喜んで読ませていただきました。

実は高木氏の思想つきましては、他の書物からの聞き伝えのみで、書物そのものを読んでいませんでした。難しいことが書いてあるような気がしていたからです。
ですが、この本は、ぜひ、皆様にお勧めです。まったく難しくありません。途中ほんのちょっと専門的な説明にひっかかるかもしれませんが、原発、原子力の活用、というものが、いかに危険で、今の人類の手に負えないものであるのか、ということが、これまでの事故の例をあげながら、とっても分かり易い文章でつづられています。

1960年代、いや、それ以前からの、原子力政策への誤り、しなければならないのにしてこなかったこと、が、淡々と述べられています。
この本は、高木氏が亡くなる直前の2000年に書かれたものです。
そこに、まさに、福島で起きたことへの懸念が、全くそのまま、予言のごとく、書かれているのです。

「日本の原子力の欠陥というのは、上から押し付けられてきた開発の歪みに起因することは明らかです。日本固有の企業的一体性の中で、皆そこで飯を食おうとしているわけですから、なんとか成功させなければ飯が食えないと、運命共同体的なものを押し付けられる」(P58)
まさに、私たちが、福島原発事故以後、目にし、耳にしてきた、原子力ムラ構造です。これは、何かあったときに不正を選択し続けなければならなくなる究極のしがらみです。

「原子力はどうしてそんなふうになってしまっているのだろうかとよく考えます。私に言わせれば、末端と言うと語弊がありますが、別に国家の責任を背負っているわけではないはずの人までが、国家を背負っているような立場に置かれてしまっていることが問題です。もしも、国家の公式見解と違うことを言ったら、とたんにいろいろと文句を言われる状況がある。私自身の経験でもありますから、それは確かでしょう」(P61)
日本では、とにかく原発をつくるという結果が先にあり、そこに合わせた形の証拠固めを学者たちにさせていきます。それに合わないことを言う学者ははずされていく、ということです。

「たしかに原子力には明治以来百数十年の富国強兵の歴史が反映しており、国が技術立国的な政策をとって重化工業に力点を置いて巨大財閥を中心に産業を育て、それを富国強兵に使ってきたのと同じことを、縮図的に原子力でやろうとしたと言えるでしょう。いかにもそれは中曽根康弘という人の好みでもあったような気がします」(P65)

「要するに、国が原発推進ということを言っているときに、それに賛成しない、原発推進と言わないのはけしからん、そのような批判勢力には公益性はない、こういう理論なのです。これには私は、非常に腹が立ったというか、驚いてしまいました」
「人々が求めるものは何かというところから出発するのではなく、国家の法律の中にどう定義されているか、それを守る機関はどういう組織であるのかから出発して、その組織に従うことが公益であるみたいな、頭からの公益論ができてしまっている。これでは文化も教育もあったものではありません。ましてや個人の倫理などは、こういうところではあり得ない」(P121)
ここに書かれていることは、原子力だけでなく、日本のあらゆる仕組みに当てはまるということは、昨今の政治から、周知のこととなりました。
現在、憲法改正(改悪?)の話も出ています。まさに、公益に反することが制限されるという内容に変わっている部分があります。彼らの公益が、上記のことであるなら、民主主義とは名ばかり、ということになりましょう。

「調査には、厳しいチェックを行い徹底して究明する自己検証型の調査と、これ以上ひどいことにはならなかったということを立証したいがための防衛型と、二通りの調査があります。しかし、自己検証型の事故調査というのは、なかなか行われていません。それは公共性のなさとも関係しています」
「このことは同時に、第三者による検証を許さないという立場にもつながってきます。いつも身内で検査をするから、どうしても防衛的になり甘くなりがちです。事故調査委員会が作られる場合でも、科学技術庁が最初からある程度結論の大きな枠組みというか、おおよその方向性を想定し、その線にそって自己防衛的に働くような感じで事故調査委員会が形成されます。自己検証型で、場合によっては自己が破壊されるかもしれないくらいまで徹底して究明するような事故調査委員会は、ついぞつくられたことがありません」(P130)
「(人選について)それは一般的に政府の好みの人たちだという以上に、私が内うちにやり取りした際の感触からすると、最初からかなり緻密にある種の結論を内包するような作業をやって、それから人事を決めているという感じがあります」(P135)
これは、まるで、福島原発事故後に書かれたのではないか、と錯覚するくらい、どんぴしゃりの見解ですね。
でも残念ながら、高木先生は、もう、この世の人ではないのです。

「友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ」には、胸が熱くなります。
抜粋させていただきます。
「反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国・全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信からくる喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました」
「残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でも、それはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっているのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです」
「後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を終結されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆様の活動を見守っていることでしょう」

末期症状がずっと続いていたにもかかわらず、私たちは、福島原発事故まで、原子力について、いささか集中力を欠いていました。そうでない方々も多くおられたかもしれませんが、マスコミも含めて、原発の危険性、放射能というものがいかにコントロールできないものであるのか、ということを、忘れていませんでしたでしょうか?
3・11の震災直前まで、電力会社のオール電化のCMは、ものすごい勢いでテレビに流れていました。原子力の安全性の素晴らしさを誇示し、放射性廃棄物も地下に埋めるのでとっても安全です、というCMもありました。有名タレントたちを使って。
ものすごい刷り込み作業が行われていました。
そして、事故は起こりました。
高木先生の危惧は、現実になりました。一時、真剣に考えることもあった日本人でしたが、その火も今弱くなったように見えます。
自民党の拝金主義に期待して、そこにおまけまでついてくる権力主義に気づくことが大事です。

どうぞ、心あるメディアは、政府の代弁者にだけは成り下がらないでいただきたい、と強く望みます。

高木先生は、その遺言通り、見守ってくださっているでしょうが、予言通りになってしまったことと、この時から10年以上たった今も、全く改善されていないどころか、余計によろしくない方向へいこうとしている(悲劇を伴った気づくチャンスがあったのに)、あるいは、原子力にピリオドを打つことのできない日本人の、人類の、目先の欲望を選択してしまうという浅はかさが、高木先生を悲しませていることでしょう。

「原子力是非論以前に、原子力というのは、大きな潜在的危険性を持ったテクノロジーであり、そういうテクノロジーを開発する会社は重大な責任を負っているのだという公的な責任の性格が、しっかりと自覚されるべきではなかったかと思うのです」(P52)


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『わたしのマトカ』 [書物]

片桐はいり著 幻冬舎文庫

「マトカ」とは、フィンランド語で「旅」を意味するそうです。

こちらの記事を読んでくださっている方々のなかには、ピンときた人もいるかもしれません。

そうです。このエッセイ集は、映画「かもめ食堂」の撮影でフィンランドを訪れていた著者が、そのときの思い出を、縦横無尽に描いているものです。

以前に、「かもめ食堂」主役の小林聡美さんのエッセイを、こちらでご紹介しましたが、そのとき、片桐はいりさんのエッセイが出版されていることを知り、購入したのです。

片桐はいりさんは、見た目もそうですが、とっても個性的な女優さんですよね。
その身体の大きさとは裏腹な感じで(と言っては失礼ですが)、エッセイを読みますと、とっても繊細な女優さんであることが分かります。
エッセイの内容も然ることながら、文章と、その言葉の選択が、非常に丁寧で思慮深いです。
とても知性を感じると、どなたかがおっしゃっていましたが、その通りだと思います。

片桐さんは、このエッセイのなかで、フィンランドの旅を描きながら、これまで訪れた様々な国でのことをも回想して描いてくれています。面白おかしく。

「かもめ食堂」のなかのミドリ、片桐さん演じるこのミドリと片桐さんの性質が重なります。
実際の片桐さんは、旅に出る前に、旅先のことをじっくりと調べてから旅立つらしいのですが、この撮影では、フィンランドのことをほとんどわからないまま来てしまった、とのこと。それがまた、ミドリと重なるのです。
サチエ(小林聡美さん)と出会ってからの好奇心旺盛な様子もまた、片桐さんそのものです。

女優さんにもいろいろなタイプがあるでしょうが、旅のしかたが、度胸がすわっていると言いますか、ひとりでどこへでも行ってしまうタイプみたいですね。それと、地元の珍しい食べ物をなんでもしっかりと食べる。
そして、女優の仕事のしかたが、何と言いますか、ああ、本当にたくましいなあ、女優はこうでなきゃ、という感じを受けました。考え深く、堂々とした仕事ぶりです。
わがままでなんたらかんたら、と、そういった大女優さんもいらっしゃるのでしょうが、片桐さんのお仕事のしかたは「役者魂」を感じさせるものです。

そんな片桐はいりワールドが、びっしりと詰まった、エッセイです。
「かもめ食堂」を見てから読むと、さらに楽しめること間違いなし。先に読むと、映画が見たくなるかもしれません。

すっごく自由な人なのかぁ。
そして、人生も仕事も楽しんでいる。
演技にはこだわりもある本気の役者、女優。

グアテマラにいる弟さんを訪ねっていった話もちらとでてきますが、そういう弟さんの存在もまた、興味深いですね。
ずいぶん前に、行方不明だった弟がグアテマラにいることが分かったとかなんとか、そんな話を「笑っていいとも」で聞いたことがありました。
「グアテマラの弟」というエッセイも出版されているようなので、読んでみようっと。おっけ~。

マトカは、フィンランド語で「旅」。良い響きですね。
キートスは「ありがとう」
「かもめ食堂」には出演されていませんが、「すいか」「めがね」などでおなじみの市川実日子さんの所属事務所は、スールキートス(どうもありがとう)です。
う~ん、なるほど。そういうつながりかぁ。



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ゲーテとの対話 [書物]

部屋の片付けをしておりましたところ、思わぬところから「ゲーテとの対話」が出てきました。
岩波文庫から出版されている上中下の3巻。同時に、アルマ・マーラーの回想録「グスタフ・マーラー」も。
こういうときは、宇宙が何かを伝えようしているときです。
素直に受け止めて、目を通してみることが大事です。


ゲーテは、私の好きな作家・・・いえ、作家として、あるいは政治家として、あるいはコレクターとして好き、というよりも、ゲーテの思想が大好きです。思想家としてのゲーテです。小説よりも、戯曲よりも、詩よりも、彼の自伝である「詩と真実」が大好きです。

いつからそれほど慕っているのだろう、と過去を振り返ってみましたが・・よく分からない。

「若きウェルテルの悩み」は、中学生のときに読みました。理解できたかといえば、う~ん・・・。
むしろ私は、ヘッセが大好きでしたし、加えて、トーマス・マン。
ヘッセの「車輪の下」は、部屋が暗くなるのも気付かず、引き込まれて読んだ記憶があります。そして「デミアン」の衝撃。「少年のころの思い出」は、今では教科書でもお目にかかる名作ですが、これを初めて読んだときの感動は、なんとも言えず胸がキュンとするものがありました。読んだことのある方には、同感していただけるかと思います。大好きなものと、犯してしまった罪の大きさ、が美しく描かれています。
トーマス・マンは「ベニスに死す」から入って「トニオ・クレーゲル」、そして圧巻は「魔の山」でしょうか。
竹宮恵子さんや萩尾望都さんの漫画ファンの方には、おなじみのドイツの小説家、かもしれませんね。

なぜゲーテ?

ゲーテは私にとって、マーラーとシュタイナー、そしてユングと同質の事柄を教えてくれる人、という感覚が、いつしか私の心に宿っていました。
私にとっての、たくさんのしかもレベルの高いことを教えてくれる「先生」です。

師というのは、実際に出会った教師や先輩というものもありますが、時間・時代を越えた存在、というものもあります。
古代ギリシャ・ローマの時代から近代まで、プラトンからゲーテまで、よくぞ文字で残してくれたなと、心底ありがたいと思ったことが、これまでの人生のなかで何度もありました。
ゲーテの言葉に救われ、涙が止まらなかったこともあります。
こうした賢人たち、先達たちが、たくさんの言葉を、思想を残してくれていることは、まさに「光」です。


さて、この世の時間は無限ではないので、「ゲーテとの対話」全てをのんびりと読むことはできません。
ラインマーカーのある部分を飛ばし飛ばし読んでみました。
なるほど、メッセージがありましたよ。

皆様も、こんな感じの伝言がやってきたら、敏感に対応してみてください、ぜひ!

ちなみに「ゲーテとの対話」は、晩年のゲーテと共に過ごした著者であるエッカーマンが、その生活の様子を日記の形で残したものです。
ゲーテの言葉が丁寧に細かく残されている、貴重な記録です。
まるでテープに録音された内容を文字起こししたかのように、ゲーテが語りかけてきます。
自分の作品や広く芸術について多く語られていますが、人生哲学も垣間見られます。また、ゲーテの生活ぶりもよく伝わってきます。
ゲーテ邸の見取り図も載っていますよ。
ゲーテ風知的生活、を堪能できます。

それにいたしましても、エッカーマンは、すごい記憶力です。ここまで書けるものなのでしょうか。
マーラーの奥さんアルマ・マーラーとその前の恋人ナターリエ・バウアー=レヒナー(「グスタフ・マーラーの思い出」)も、マーラーの話したことをバッチリ書物に残しています。
よくこんなに覚えているな、と本当に感服します。
こういった存在は、賢人の隣に必ずいるものですね。
「ソクラテスの思い出」のクセノフォンもそうでしょうか。ただし、思想的魂的には、創作とはいえ、プラトンのほうがより高邁のようですが。

なんとも、次元の高い魂たちは、しっかりと相棒を携えて、生まれてくるのですね。
そのおかげで、私たちは、時空と次元を超えたメッセージをいただくことができるのです。

あ、そうそう。
バッハの奥さんアンナ・マグダレーナによる「バッハの思い出」も良いですよ。
こちらは、神、をとてもそば近くに感じますね。

語り尽くせません。
またどこかで。

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小林聡美さんの筆力 [書物]

小林聡美さんと言えば、こちらで何度もご紹介している「すいか」「かもめ食堂」「めがね」「マザーウォーター」などなどで御馴染みの女優さんです。
小林さん出演のパスコのCMがありますが、そもそも、超熟、イングリッシュマフィンのCMの始まりは、かもめ食堂の設定から始まった、と記憶しています。
「金八先生」の第1シーズンの生徒役、その後、映画「転校生」では、すでにユニークな女優ぶりを発揮しておられました。

いったいいつからなのか、私は、彼女のファンです。
おそらく、フジテレビの深夜ドラマ「やっぱり猫が好き」から、かなぁ~。
もたいまさこさん、室井滋さん、とトリオで、おかしな姉妹を演じていました。
室井さんは、そのあと絡んでくることはなくなりましたが、もたいさんと小林さんの仲はずっと続いているようで、「すいか」でも「かもめ食堂」その他でも、共演しています。まるでセットのように。

そして、この度、初めて、小林さんのエッセーなるものを読んでみました。たくさん書いている、ということは、それだけ要請がある、ということ。
へぇ、そうなんだぁ、などと、彼女がどんなことを書いているのか半信半疑で、数冊買い込みました。

う~ん、うまい!
筆力もさることながら、内容が、面白い!
よくタレントさんはゴーストを使うと言いますが、これがゴーストだったら、逆にすごい。

中学生から女優をしていて、忙しい日々を過ごしてこられただろうに、知識の幅がひろい。
この感覚、理解していただけるだろうか。
つまり、視野が狭くなって自分のことにだけ夢中になっているのではなく、もちろんベースは自分だが、体験とそこから派生する環境、様々な事柄への興味関心と感想、そして、それを面白おかしく分析したり、受け止めたりする様子が、天才的に愉快なのです。
豪快に面白い。

文庫本でたくさん出ていますので、お時間のある方は、ぜひ一冊、読んでみてください。
まるで、「すいか」や「めがね」の世界を地で行っているみたいですよ。
本当の自分を探しながら、ポジティブに人生を捉えていく、といった感じでしょうか。

元夫・三谷幸喜さんとのくだりも、とっても面白いです。

読んでいると必ず、ぷっ、とか、ふふふ、とか、思わず笑ってしまうこと必至なので、電車のなかでは要注意、かも。

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「絶望の国の幸福な若者たち」 [書物]

古市憲寿著 講談社

講談社の本を読むのは久しぶりだ。
以前に、テレビ朝日「朝まで生テレビ」で、古市氏のこの書物をメインにした討論があった。それについてこちらへ書かせていただいているが、そのときには、まだ、この本を読んでいなかった。早く読まなければ、と思いながら、ついにこれほどの時が経ってしまった。
でも、何が書いてあるかは、ほぼ予見できた。なぜなら、古市氏の考え方、疑問の持ち方を、私自身、とてもよく理解できていたからだ。

おかげさまで(?)前回の記事で、荻上チキ氏の書物について、先に書くこととなった。
これは、かえって良かった。
比較することができたからだ。

「朝まで生テレビ」では、田原総一朗氏が、この本を読んでえらく驚いて、新しい世界を垣間見たようなことを声高に言っておられたが、正直、そこまで驚くべきことか?というのが読後感だ。

荻上氏の書物は、私の波動に合わなかった。ところどころ理解し難かったし、その思考の背景は読み取れるものの、私の感覚がはじいてしまって、受け入れられない気持ちが空回りしていた。

荻上氏のような唯物感覚の人からすると、古市氏のような人は、弱々しく見えるかもしれない。じれったく、そして、おまえバカか、黙ってろよ、と言いたくなるのかもしれない。しかし、それも、本当は、自分にないもので、そして尚且つ、そのことが純粋無垢でより精神性の高い思いだと、なんとなく、心のどこかで感じていて、それを認めてしまったら、自分を否定することになる、という直感が、古市氏への暴言となって表れているのだと思われる。

「経済成長なんてあきらめて、慎ましく生きよう、と言い出す人もいる始末。すごく残念な意見のお手本・・・(略)」
「発言している本人は、清貧の思想、を語ることに酔っているのかもしれません」
(荻上チキ「僕らはいつまでダメ出し社会を続けるのか」P16)
う~ん、清貧の思想って、この人、清貧の意味が本気で分かっているか、首を傾げる。やはり、これは、心で考えず、頭で考えていることの証明になった。清貧を本気で心に生きている人というのは(現代社会にいるかは別として)、そんな簡単な人生の道筋ではないだろう。諦めの気持ちややる気のなさから選んだ道とは違う。ましてや、そういった生き方に酔っているわけでもないだろう。なかにはそういった人もいるにはいるが、これについては、もっと多くの言葉を尽くさなければいけない。それはまた別に機会に。


第一章 「若者」の誕生と終焉
1 「若者って誰だろう?」
2 若者論前夜
3 焼け野原からの若者論
4 「一億総中流」と「若者」の誕生
5 そして若者論は続く

第二章 ムラムラする若者たち
1 「内向き」な若者たち
2 社会貢献したい若者たち
3 ガラパゴスな若者たち
4 モノを買わない若者たち
5 「幸せ」な日本の若者たち
6 村々する若者たち

第三章 崩壊する「日本」?
1 ワールドカップ限定国家
2 ナショナリズムという魔法
3 「日本」なんていらない

第四章 「日本」のために立ち上がる若者たち
1 行楽日和に掲げる日の丸
2 お祭り気分のデモ
3 僕たちはいつ立ち上がるのか?
4 革命では変わらない「社会」

第五章 東日本大震災と「想定内」の若者たち
1 ニホンブーム
2 反原発というお祭りの中で
3 災害ディストピア

第六章 絶望の国の幸福な若者たち
1 絶望の国を生きるということ
2 なんとなく幸せな社会
3 僕たちはどこへ向かうのか?

補章 佐藤健(二十二歳、埼玉県)との対話


目次は良くできている。おっと、それは読んだ者だから言えることかもしれない。
それでも、この書籍のタイトルからそれぞれが受け取っていた印象は、正しく修正されたかもしれないし、思った通りだ、という読者の方もおられるだろう。

今の「若者」たちは、どうして、こんなに不遇にされているのに、立ち上がらないのか、と外国人ジャーナリストに問われて、古市氏は、若者と日本について考えはじめたようだ。
昔の若者たちがどうだったか、またそれを論じていた人たちとその歴史については、第一章に詳しい。

いずれにせよ、一般的な若い世代が、お金を持っていないことは確かだ。そのことが、社会の動きをつくっている。例えば、地元に帰る若者が増えたのも、結局は、親のお金を当てにしてのことでもある、と著者は分析する。

『若者たちは、今を「幸せ」と感じている』
『一方で、生活に不安を感じている若者の数も同じくらい高い。そして社会に対する満足度や将来に対する希望を持つ若者の割合は低い』
『もはや自分がこれ以上幸せになると思えないとき、人は「今の生活が幸せだ」と答えるしかない(元京都大学教授の大澤真幸)』(P102)
その通りかもしれない。今が不幸だと思うということは、将来きっと幸せになれるという希望があるがゆえ、とは、なるほど、と頷いてしまう。まさに、高度経済成長期、だ。

ワールドカップサッカーの試合のあと、渋谷にフィールドワークに行った著者が見た若者たちの姿、いっときの熱狂と、そのあとのなんともさっぱりとした様子、そこにナショナリズムのなんたるかを著者は見る、
『戦争が起こったとしてもさっさと逃げ出すつもりでいる。そんな若者が増えているならば、それは少なくとも「態度」としては、非常に好ましいことだと僕は思う。国家間の戦争が起こる可能性が、少しでも減るという意味において』(P153)
同感だ。
しかし、自民党の復活で、自衛隊が軍として定義され、この若者たちも徴兵という義務を課されることとなるのだろうか。そうなれば、国家と言うものに縛られて、逃げ出すことは不可能だろう。どうしても反発すれば、逮捕される。そんな世の中は、ぜひとも避けたいものだが。
戦いたくない、という思いは、心がひ弱になったからではなく、心のレベルが上がることによって野蛮な行動とは波長が合わなくなっていくからだ。それを無理やり、昔に戻そうとしても、うまくいかないし、むしろ魂を混乱させてしまう結果となる。それは悲劇だ。映画のストーリーにはなり得るかもしれないが、そんな悲劇は芸術でもなんでもない。

『たとえば、社会に不満を抱いている人がいるとする。彼にとってもっとも嬉しいのは、誰かが社会を変えてくれて、自分がそれに「ただ乗り」することである。そうすれば、自分では何をすることもなく、良い社会を生きることができる』(P173)
『とりあえず「お祭り」に参加することを促す社会運動が最近の流行になっている』(P174)
若者たちも、何もしていないわけではないようだ。特に震災後は、脱原発へのデモなどもある。その集会も、ライブや様々フェスティバルのような形になっていて、楽しめるスタイルになっている。気軽に参加して楽しむ、という人も多く、そこで仲間を見つけたり、そこを居場所とする、というような人もいるとか。もちろん、古参の集まる社会運動もあるので、そんなデモに参加すると、ちょっと面食らう若者もいる、と著者はインタビューの内容をまとめている。

『多くの集団は、オウム真理教のように暴走してしまう前に、ただの「居場所」になってしまう、というのが僕の見立てだ』(P184)
『僕は、かつてピースボートに乗船する若者を対象とした研究で、「共同性」が「目的性」を「冷却」させると結論した。つまり、集団としてある目的のために頑張っているように見える人々も、結局はそこが居場所化してしまい、当初の目的をあきらめてしまうのではないか、ということだ』(P186)
そもそも社会を変えるってなんだ?と著者は問う。
『「革命」は「社会を変える」ことの起点にはなるが、あくまでも起点に過ぎないのである』(P189)
だけど社会は変えられる。
『「社会を変える」ための方策にいくつもの形がある』
『市議会議員になって街の条例を変えてもいい。社会的企業家になって社会貢献事業を行なってもいい。官僚になって、どうしようもない法律の改正に一生を賭けてもいい。政治に口を挟めるくらいの大資本家を目指してもいい。NGOのような非政府主体の一員として、国際条約を成立させることも夢じゃない時代だ』(P190)

ボランティア団体の創設者たちは、その設立目的に、日常の閉塞感を上げているそうだ。彼らには、非日常が必要なのだろうと、著者は言う。
『現代の若者たちは、「今、ここ」に生きる生活に満足しながら、同時にどこか変わらない毎日に閉塞感を感じている』
『言葉は乱暴だが、社会志向の若者にとって今回の震災は待ち望んでいた事件とさえ言える』(P202)
少し話しは飛躍するが、よく海外にボランティア活動に出て行く人たちがいるが、少し前に人質事件で話題になったが、あのときに、どうして外国なの?と思った人も多くいた。私も、そういえばと、ふと思った記憶がある。もちろん、日本は戦後、先進国、経済大国となって、とても豊かになった。私たちは、発展途上の国や戦渦にある国々の人たち、とくに子供たちに較べたら、ずっと幸せに、何不自由なく暮らしている。しかし、日本にも、差し延べられる手を待っている人たち、子供たちはいる。人だけでなく、実は社会自体が病んでいるということもある。日本人なのに、その日本を通り越してなぜ海外?
その理由のひとつが、古市氏が分析するところの「閉塞感」なのかな、と納得した。と同時に、非日常を求めて、より自分の存在感を感じて満足したり、世界の動きのなかで高揚感や喜びを感じるのかもしれない。それは、日本の小さな社会、日常生活のなかでは感じることのできないものなのだろう、ということは十分に理解できる。

震災後、変わった変わったと言論人や知識人たちが言うが、本当に何かが変わったのか?
『結局は「終わりなき日常」』(P215)
3.11も、西日本では、まるで外国の出来事のような受け止め方だったし、
『ほとんどの場所でほとんどの人は、地震後一ヶ月を待たずに同じ生活に戻ったのではないだろうか』(P216)
『人は自分がリアルタイムで経験した事件を過大評価しがちである』(P217)
『「事件」は、一瞬世界に光を照らす。今まで多くの人が見ていなかったもの、見ようとしなかったものを、白日の下にさらす。その意味で、3.11は確かに日本社会が抱える様々な問題を、あまりにもわかりやすい形で僕らの目の前に提示して見せた』(P218)
リーダーの不在、硬直化した官僚組織の弊害、中央と地方の関係などなど、日本が以前から抱えていた爆弾、さらに保守派老人たちの残念さ(天罰発言など)、と著者は言う。
まったく同感だが、私は古市氏よりも、より深刻に捉えている。
とくに原発事故によって、原子力という手に負えない代物とそこで行なわれていた権力とそれにすがる人々の構図、神話と言う名の騙しのテクニックと洗脳、政治家と官僚のあくなき欲望と自己保存欲、といった日本社会の縮図のような仕組みが明瞭化したにもかかわらず、結局、それらが温存されることとなったその流れは、なんともいまいましい限りだ。
しかし、『結局は「終わりなき日常」』となっていくこととなるのか。古市氏も、今後を見守るしかないと言っているが、自民党の復活が、『結局は「終わりなき日常」』を物語っていくこととなるのかもしれない。
『3.11後も変わらない「原子力ムラの人々」がいる』(P222)

団塊の世代になりたいか?
『彼らのおかげか、時代のおかげか、ただラッキーなだけか、現代日本は歴史上未曾有の「豊かさ」の中にあると言っていい』
『僕はいくら「一億円トクする(年金・医療などの社会保障費)」と言われても、団塊の世代にはなりたくない』(P234)
これも同感できる。
今の暮らしから見れば、まったくもって不便だし、今よりもっと精神的な閉塞感がきつかったかもしれない。世間体とか・・・生き方の選択肢も少なかった、いや、今も同じか。

「若者の〇〇離れ。人は基本的には、お金があればいらないものでも買いたくなる生き物でしょう。今は物が余っているので、僕も〇〇離れと分析された口ですが、お金はもらえるなら欲しいです。お金もそんなにいらない、と言っている人は、ぜひ、冬幻社経由で僕に送ってください。今起きているのは、若者の〇〇離れではなく、カネの若者離れ、なのです」これは誰の言葉でしょう。口調と波動から、古市氏でないことは、すでにこれをお読みの皆様なら直ぐにお分かりかと思う。そう、荻上チキ氏の発言だ(「僕らはいつまで・・」P62)。
ごもっとも、と私も思う。この世界で生きていくには、お金が必要なのだ。お金がないと生きていけない、そういうルールになっている。様々な評価が、お金に換算されている。その評価基準は、唯物的ではあるが。
しかし、何か違和感がある。根底に流れる思いの基本形が、何とも波動が低く、自己中心的、と言うよりも、反抗的にすら感じる。何に反抗?ピュアな精神に、かもしれない。
さらに荻上氏は言う。脱成長という言葉を想像するとき、昔はみんなお金がなくても幸せに暮らしていた、といった想いが念頭にあると思うが、それは、ALWAYS3丁目の夕陽シンドロームだ。脱成長というフレーズを好んで使う人は、経済成長ばかりを追い求めてきた社会というのは・・・と言うが、これは、圧倒的な歴史認識の誤解が根底にある、と。
さらに、脱成長という言葉には、競争をやめて、みんなで分け合う温かい社会を目指しましょう、という牧歌的なニュアンスが巧みに含まれていると感じるが、脱成長が起これば、まったく逆の社会が訪れる、と。(P72~73より抜粋)
『バブル崩壊後の若者たちは望む望まざるにかかわらず、相対的に自由な人生を送ることができるようになった』(「絶望の国の幸福な若者たち」古市憲寿P236)

どうでしょう。
感想とご判断は、読者の皆様にお任せします。

『統計的に見ても、日本では他国に較べて政治的無力感が強い』(P237)
『もしかしたら、若者たちはあまりにも社会志向・他人志向すぎて、「自分たち」の問題ある政治には興味がないのかもしれない。カンボジアに学校は作るし、アフリカ援助には必死になれても、「自分」の所属する地方自治体で何かアクションを起こそうとは思わないのだから』(P238)
これは、上記の海外にボランティアに出かける若者たちの動機につながるものがあるだろうか。

『(略)それでもなお、「高齢者」世代を糾弾することはできる。国民主義を掲げる議会制民主主義の国で、「高齢者」世代が投票を重ねてきた結果が「これ」だと』(P240)
『(略)その絶望的な未来を、より長く生きていかなくちゃいけないのは、若者や子どもたちであることも間違いない』(P242)

さらに古市氏は、幸せの条件を2つに分ける。経済的な問題と承認の問題。つまりお金があるかどうかと、誰か自分を認めてくれる人がいるかどうか、だ。人は、誰かひとりのために生きることができる、とは昔からよく言われる究極的幸福論だが、恋人の存在は、手っ取り早い幸せの条件かもしれない。恋人以外には、家族の存在もあるだろう。家族については、経済的問題とのかかわりも大きい。
と同時に、今は、インターネットによるつながり、個人のマスメディア感覚が、承認による幸福感の形を変えた。お手軽な承認社会、と著者は評する。

結局著者は、何だかんだと言って、やっぱり、若者たちは、幸せなんだ、と結論づけているし、実際そうなのだろう。
その反面、日本の社会の失敗をも認めている。

『どんな場所に生まれても、どんな家に生まれても「ナンバーワン」を目指すことができる「近代」という時代が、いよいよ臨界点に達した』(P258)
『民主主義を犠牲にして経済成長を選んだことにより、世界有数の経済大国となった日本』
『ヨーロッパとは違う「近代化」を歩んできた日本で、即席で参考にできるような国は、もうない』(P259)

『戦後の経済成長は、日本を民主主義陣営に留めておこうとするアメリカの対日政策、豊富な若年労働力を活用できる人口ボーナス、敗戦によって経済後進国になったため他国のマネをすればよかったことなど、いくつものラッキーが重なって可能になったことだ』
『「あの頃」には戻れない。だけど同時に、僕たちは、「あの頃」の人々が憧れた未来に生きている』(P263)

『何かあると「日本が終わる」とか「日本が崩壊する」と言い出す人がいる。だが、「日本が終わる」とはどのような状態を指すのだろうか』(P265)
経済破綻?社会保障が大きく削減?公共サービスの低下?
そうなっても、日本国民が死に絶えてしまうわけではない。失業率が上がっても、硬直化した雇用制度が崩れて、若者たちは、中国やインドに出稼ぎに行くかもしれない。
外国からの軍事的侵略?
『政府が「戦争始めます」と言っても、みんなで逃げちゃえば戦争にならないと思う。もっと言えば、戦争が起こって、「日本」という国が負けても、かつて「日本」だった国土に生きる人々が生き残るのならば、僕はそれでいいと思っている』
『国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも、大切なのは一人一人がいかに生きられるか、ということのはずである』
『一人一人がより幸せに生きられるなら「日本」は守られるべきだが、そうでないならば別に「日本」にこだわる必要はない。だから、僕には「日本が終わる」と焦る人の気持ちがわからないし、「日本が終わる?だから何?」と思ってしまうのだ』(P267~268)

絶望の国の、幸福な「若者」として、なんとなく幸せで不安な時代を僕たちは生きていく。

概ね私は、この古市氏の思想に賛同するし、また、彼の気持ちがよく分かる。気持ちが分かるなどと言っては失礼かもしれないが。
荻上氏には、理解不能だろうし、また、残念な老人たちからすれば、なんとも覇気のない、どうしようもない若者たち、と一刀両断だろう。どうしてこんな若者たちが育ったんだ、と。
なにをおっしゃいます。あなたたちが、育てたのですよ。でも、良かったですよ。だって、戦争はぜったいにいけないことですから。

こういった、いわゆる愛国心のないような若者たちの考え方に、田原氏は衝撃を覚えたのかもしれない。そして、新しい、と、確かそのとき、表現していたと記憶している。それは正しい感覚だった。しかし、討論のなかで、次第に田原氏の気持ちは変化していき、他のパネラーたち(若いのに)と同調して、古市氏を責め始めた、というのが、冒頭で触れた「朝まで生テレビ」を見たときの私の印象だ。

おそらく、古市が言うように、国会の存続よりもひとりひとりがどう生きるか、とか、日本が終わるからって何?という感覚に、荻上氏や田原氏は、国なくてどうして生きていくのか、ひとりひとりより国だろう、と食って掛かるだろう。

これは、大きなひとつの国家論となるだろう。
プラトンの著書に「国家」がある。
なかには、軍隊の必要性の話もしっかりあるが、当時のギリシャの形を見れば、それも分かる話だ。だが、国家があって市民がいるのではなく、市民があって、そこから国家が形成されていくことが述べられている。そして、ひとつの国家をつくるための、リーダーの資質について、国家体制について、事細かく論じて(対話して)いるのだが、それらは、どちらかと言えば、古市氏の感覚に近いと思う。

答えはひとつではないだろう。
しかし、目指すべき方向は、古代ギリシャの時代から示されていたのであり、また、政治家や社会、市民の有り様は、言ってみれば、残念ながら、当時の問題点がいまだ解決されていないと言えよう。

マヤ暦によれば、ひとつの時代の周期が終わったと言われる今、新しい世界へ向けて、新しい感覚が主流となっていくことだろう、と肯定的に捉えたい。
断言できない理由は、それは私たち一人一人次第、だからだ。

記事のなかで荻上氏や田原氏について述べている部分は、私個人の感想ですので、ご了承ください。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』 [書物]

荻上チキ著 幻冬舎新書

荻上氏は、以前、テレビ朝日「朝まで生テレビ」にて、古市憲寿氏に対しておとなげない発言をした。それ以来、私は、荻上氏をよく思っていない。否、それ以前から、ペラペラペラペラと絶え間なく喋る口調が、私には、心地よくなかった。

では、なぜこの本の感想?

荻上氏が、政治に対するまとめ発言をしていないので、今回の政党乱立と総選挙に当たって、思想をまとめたいということで書いた、と言うので、読んでみようと思い立った、というのが経緯だ。

実は、この記事、とてもたくさん書いた。
しかし、思わず、データを消してしまった。とってもたくさん書いたのに、だ。
そして、これは、書かなくてもよい、ということだな、と理解し、端的にだけ、述べることとした。

第一章では、戦後政治のこれまでの様相が述べられている。55年体制、派閥、族議員の発生と陳情、それにともなう票田など。

第二章では、消費税増税を根底に、財政のあり方を述べている。増税の前にやらなければならないこととして言われている、議員の定数削減や歳費削減、公務員給与、無駄遣いの削減は、間違った議論だ、と述べている。そこから得られるものは微々たるものだ、と荻上氏は言う。
そうだろうか?
お金のことだけで言えば、そうかもしれない。その通りだろう。だったら、景気を上げたほうがよい。しかし、私は思う。増税の前にやるべきことがあるだろう、には、政治家や官僚、公務員、あるいは電力会社も含めた大企業の、心の態度が問われているのではないか、と思う。
民主党が言っていた「コンクリートから人へ」は、バール信仰から心を取り戻す、ということではなかったのかな。このスローガンをかかげた民主党自身も、そこまでクリアな思いに気付いていなかったかもしれないが、無意識により高い精神性を求める気持ちが働いている人々だったのだろう(もちろん全員とは言わないが)。しかし、政権を取った途端、残念ながら、どっぷりとした権力のなかに埋没してしまった。

第三章では国民益より省益を考える官僚、省庁の仕組みが間違っていることを提示。マスメディアも、それに加担している、と言う。また、スポンサーとメディアの関係の問題も提起。
これは、全く、同感である。
心の変革ができない官僚たちには、仕組みそのものを変えて、良き方向へ自然と心が向くように仕向けなければならない。しかし、メディアは、そうはいかない。物事を認識して発信する立場だからだ。自らの良心を見直すときが来ているのではないか、と思う。

第四章は、「僕らはどうやってバグを取り除くのか」という章題。これは、私の心には全く響かないし、なんと言うか、やるせない。これが彼の考え方なのか。彼のこれまでの活動や発言から、いささか歪んだ心持ちを感じていたが、やはりそれはここにも出ている(ここでは具体例をあげません)。

第五章は、「僕らはどうやって社会を変えていくのか」という章題。あれこれ書いてあるが、結局は自分の活動の宣伝と自慢か。

全体を通して言えるのは、彼の思想の根底にあるのは、唯物的感覚、ということだ。
心を、思いを一番に大事にする人を間違っている、と思っているようだ。
心では、経済は復活しないし、病気も治らない、と。

とても寂しい書物だった。
読まなくてもいい本だ。
しかし、物質的価値観を持っていて、自分は頭が良く理解力に富んでいる、と思い込んでいる人が、どうような思考パターンを持っているのかを知るためには、よい参考書になるかもしれない。
基本的には、お勧めしない。

あ、そうだ。
副題に『絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想』とあるが、何が「ポジ出し」だったのか?・・・分からない。
結局のところ、唯物的でない思考、心や思いを大事にしながら変革を求める発言、精神論による政治家のあるべき姿への提言が「ネガ出しだ」と言いたいのだろう。

追伸
なぜか、古市氏への反発、反論めいた発言があることに、思わず微笑んだ。
おそらく、念頭にあるのだろう。まさに、上記副題の絶望から抜け出す云々は、古市氏の著書の題名、テーマそのものを思い起こさせるものだ。
その古市氏の著書「絶望の国の幸福な若者たち」のなかで、
『現代社会に必要なメディアリテラシーのあり方を考え続ける評論家の荻上チキ(30歳)は、震災直後から自分のブログで、ネット上で広がるデマをまとめ、その検証を続けていたのだが、みんなが一番気になる原発問題に関してはほぼ沈黙を貫いた』(P214)
などの言及がされていることに怨念があるのか?

上記の検証については、次回、「絶望の国の幸福な若者たち」の感想記事にて、比較して書かせていただきたいと思っています。

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「ピカソは本当に偉いのか?」 [書物]

西岡文彦著 新潮新書

これは面白い!
帯に「目からウロコの芸術論」とありますが、その通りです。

著者は版画家で、多摩美術大学の教授。
先日 テレビで、ピカソ風の絵の描き方を伝授してタレントさんに書かせ、その解説をしているのが大変に楽しかったので、著者の出版物で一番新しいものを、と購入しました。

ピカソの自由奔放な人生と社会の変遷が、とても分かり易く、新鮮な切り口で語られています。

教権、王権、市民、美術館、画商からオークションへと、絵画の求められる場所が変わり、評価の基準も変わってきました。
その移り変わりが、見事に説明されていて、思わず、なるほど!と声を上げてしまうほどでした。

ぜひ読んでいただきたいので、あまりたくさんはご紹介しませんが、

美術館の定義がまずなるほど、でした。
「絵画が美術品に変わるとき」という小見出しのなかの一節です。
『かつての絵画には、そこに描かれたものを通して、人々に何事かを伝達するという社会的なコミュニケーション手段としての機能が備わっていました』(P108)
『美術品それ自体の持つ色や形の美しさや細工の巧みさだけを観賞される対象となってしまったのです』(P109)
『美術館は、博物館と同じミュージアムという言葉の訳語ですから、博物館入りという言葉によって表れる古色蒼然としたニュアンスは、美術館入りという言葉にも含まれています。本章冒頭で、ニューヨーク近代美術館のことを現代美術の「殿堂」と紹介しましたが、「殿堂入り」という言葉なども同様に、そこに入ることが「現役を離れる」ことであるというニュアンスを含んでいます』(P109~110)

美術館は、フランス革命によって成立した市民のための新しい施設でした。
しかし、市民には、飾られている絵の内容がさっぱり分かりません。そこで、美術批評家なるものが登場してきます。

そして、アメリカ人が絵をどんどん買い、また、画商などが価格を操作して、絵の値段をつり上げていきます。

とはいえ、それも時代の流れ。
何が良くて、何が悪い、というものでもないのでしょう。

しかし、著者は、「おわりに」のなかで、最後、こう言っています。
『私は、芸術という「創る」営みの出自が「働く」ことにある以上、それに与えられる評価というものが、人々が額に汗して働くことに不当に優越するものであってはならないと思っています。まして、その報酬が、日々を誠実勤勉に生きる人々の勤労意欲を損なうまでに高騰するのであれば、その社会は明らかに病んでいると思っています。そういう意味では、本書の冒頭にあげた疑問の最後にある「そういう芸術にあれほど高値をつける市場も、どこかおかしいのではないか?」という問いへの私自身の答えは、「おかしい」ということに尽きると思っています』
『伝説によれば、ミダスは、自分が手にした食べ物までが金に変わるのを見て絶望したといいます。その時、彼はどのような表情を浮かべたのでしょう。私は、ピカソの最後の自画像が、このミダス王に見えてなりません』(P190)
『この自画像は、現代芸術にまつわる不当なまでの特権とその高騰を無批判に許容している限り、私たちすべての自画像となる可能性を秘めているように思います』(P191)

著者は、この書物のなかで、決してピカソを批判しているわけではありません。その奔放な姿は、新しい支配層であるブルジョワへの抵抗であったことを社会的背景から説明し、また、ピカソの絵は誰にでも描けるものではないとその力量と筆致のすばらしさを讃えています。

と同時に、現代芸術が辿ってきた道のりと、画家、芸術家、というものへのイメージの定着を、まったくもって健全だった、とは捉えておられないようです。

この著者の最後のメッセージには、深い思いが込められているように感じます。
美術、芸術の世界に留まらず、まさに、私たちが今直面している、社会の不具合と閉塞感についても、同様に当て嵌まると感じる方も多くおられるのではないでしょうか。

ぜひ、ご一読を。

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「東電福島原発事故 総理大臣として 考えたこと」菅直人著③ [書物]

『5月6日に浜岡原発を停止させ、私が脱原発の姿勢をはっきりさせ始めた頃から、私に対する攻撃が激しくなってきた』
(P160)
菅氏が海水注入をストップさせたためにメルトダウンが起きた、という記事が読売新聞、産経新聞に載り、そこから、東電と自民党を喜ばせる菅バッシングが始まった。
最後には、とにかく菅がだめだ、ということで、菅さえいなくなれば法案を通す、という形になった。菅でなければ、被災地の復旧もどんどん進む、と自民党は言っていた。

本当にそうだったのだろうか。

海水注入ストップ問題や、いらいらいと怒鳴りつけるという東電や一部マスコミによる悪口、あの時現地に行ったのがいけなかった、などなど、その本当のところは、この書物を読むとよく分かる。もちろん、菅サイドからの事実確認だが。しかし、東電やマスコミ、官僚や自民党が言っていることが、いかに意地の悪いものであるかが見て取れる。

『発生確率が百年に一回の事故があるとする。それが交通事故なら、その車はかなり安全な乗り物と言える。しかし、仮にそれが「一回でも起きたら地球が崩壊する」というリスクであったら、百年に一回でも、千年に一回でも、誰もそんなリスクは取れない』
『地震、津波、原発の「三重のリスク」を負っている場所は、この地球上で、米国西海岸と日本列島の二か所ぐらいだ。しかも日本は広大ではないので、原発事故が最悪のケースになれば、国家の機能が停止してしまいかねない』
(P151)
原発政策を決断し推進してきた人たち、交通事故や飛行機事故と原発を引き比べて、原発は安全だ、という説明をする。とくに中曽根元総理が、原発事故のあと、いまだにテレビでその説明をしている姿を見て、私は、唖然とした。

『まず、私たち日本人が経験した福島原発事故が、国家存亡の危機であったという共通認識を持ち、そこから再スタートすべきだ』
(P190)
おおげさな、とおっしゃいますでしょうか?

『使用済み核燃料の中間貯蔵、再処理、放射性廃棄物の処理・処分の部分をバックエンドというが、これについては何も根本的な解決方法が見つかっていない』
『日本の核燃料サイクルの考え方は、高速増殖炉で燃料として使って発電するという考え方だ。その時、燃焼するプルトニウム以上の新たなプルトニウムを生み出すので、「増殖」という言葉が付いている。これは、劣化ウランと呼ばれる。多くの国が開発に取り組んだが、実用化できた国はない』
(P192)
増殖炉は夢だ、などと言っている石原氏、言語道断だ。

『原発維持を大義名分として巨額の資金を投入し続けようとしている。すでに、経済の原理からも大きく逸脱している』
(P193)
『再稼動問題は、電力会社の経営問題と深く関わっており、そのことを国民の前に明らかにする必要がある』
(P195)
原発が止まって困るのは、電力会社にお金が入ってこないからでしょう、と橋下氏は言っていた。

『冷静に考えれば、バックエンドの問題など、原発は3.11事故の前から完全に行き詰っており、今回の福島原発事故がはっきり答えを出したはずである』
『ここに、巨大な既得権益集団である原子力ムラの存在がる』
『戦前、軍部が政治の実権を掌握していったプロセスと、電事連を中心とする、いわゆる原子力ムラと呼ばれるものの動きとが、私には重なって思える』
(P197)
『それを見ていた多くの関係者は、自己保身と事なかれ主義に陥って、この流れに抗することなく、眺めていた。これは私自身の反省を込めてのことだ』
『現在、原子力ムラは、今回の事故に対する深刻な反省もしないままに、原子力行政の実権をさらに握り続けようとしている。戦前の軍部にも似た原子力ムラの組織的な構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して、解体することが、原子力行政の抜本改革の第一歩だと考えている』
(P198)
寂聴さんが、ハンガーストライキをされたおり、戦争中よりもひどい、とおっしゃっていたことは記憶に新しい。
私も、こちらで、発信させていただいている。原発行政とその仕組みを変えることは、日本の仕組みを根本から変えることにつながる、と。お金と欲と特権の渦巻く、社会の病巣の縮図だからだ。
こんな醜いものを生み出した自民党は、まず、そのことを反省し、謝罪してもらいたい。
次期総選挙で政権を奪還するなどと、浮かれている場合ではない。
あなたたちなら、菅氏よりも上手く処理ができたかもしれない。しかし、それは、お金や脅しを使って、人を黙らせ、ひたすら官僚の言いなりになって隠蔽していくから、上手くいっているように見えるだけなのだ。それが、自民党の政治手法だ。

冒頭に戻るが、11月1日のテレビ朝日「モーニングバード」の玉川徹氏のコーナー「そもそも総研」で、この書物と、菅直人氏について取り上げていた。
菅おろしはどうしてはじまったのか、と。
まさに、冒頭の通りである。

玉川氏は、コーナーをこう締めくくった。
菅氏をやめさせたい東電の意向にメディアが乗っかってしまった。
菅総理が継続すれば、脱原発にいくから。
原発事故に関しては、喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではすまない。
菅さん以上の人は720人のなかにいたかもしれないが、菅さんのようにできた人はいなかったと思う。

菅おろしがはじまったとき、テレビ朝日のこの番組だけが、菅応援をしていた。
私も同感だった。

これは、放射能と向き合い、放射能とともに生きていかなければならなくなった日本人の通り越した一場面であり、新しい世界観を持つように仕向けられた出来事であった。

さて、次の選択をどうしていくのか、それは、私たちひとりひとりにかかっている。

原発の輸出もやめたほうがいい。
イギリスで原発建設の受注が決まったそうだが、地元のご婦人が言っていた。あんな事故が起きた日本の企業が、ここで原発を作るなんて、心配だわ、と。
このご婦人の心配は、日本の技術のことを言っているのだろう。未熟で、欠陥があったから、大事故を起こした、と。だとしたら、ご婦人は、技術は確かだと証明されたら、安心するのだろう。
しかし、私たちは、別の意味を考えなければいけない。まさに、菅氏も言っていた技術ではなく、哲学として。
あんな大事故が起きて、多くの人々が住む場所を奪われて、たくさんの母親や子供たちが放射能に怯えるという事態を目の当たりにした国の人たちが、外国で原発をつくるって、どういうこと?あなたたちは、何も感じていないの?

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「東電福島原発事故 総理大臣として 考えたこと」菅直人著② [書物]

菅直人氏は、この驚愕の事故に総理大臣として直面して、考えが変わった、と、会見でも述べていた。

菅氏は、もともと、社会党時代、否、市民運動家の時代から、原子力発電には、反対の立場だった。しかし、次第にその気持ちは薄れていっていたようだ。そのこともここに書かれている。
民主党が政権を取ったとき、民主党の原発推進政策に驚いた方も多かったのではないだろうか。前原氏が、意気揚々と他国に原発を売りに行っている様子もあったが、私はがっかりした。そして、どこかで心を変えてくれ、と願っていた。

菅氏は、3.11を境に、全く気持ちを変化させた。というよりも、政治家になったころの自分の本当の気持ちを思い出したのだろう。

『私は、脱原発と自然エネルギー問題に絞って、政治活動を続けることを決意した』
(P187)
菅氏はこう述べている。本気でがんばってほしい。一度死んだ人間で、何も失うものはない、という気概を持って。
すでに、懇談会には、田坂広志氏、孫正義氏、岡田武史氏、坂本龍一氏などが集まった。
官邸前のデモにも協力している。

『哲学者の梅原猛さんが、今回の原発事故は「文明災だ」と看破された。
原発問題は単なる技術論でも、経済論でもなく、人間の生き方、まさに文明が問われている。原発事故は間違った文明の選択により引き起こされた災害と言える。であれば、なおさら、脱原発は、技術的な問題というよりも、最終的には国民の意思だ。哲学の問題とも言える』
『私自身も、3.11原発事故を体験し、人間が核反応を利用するのは根本的に無理があり、核エネルギーは人間の存在を脅かすものだと考えるようになった』
(P39)
ともすると、この事故を踏まえて、技術を高めることが大事だ、という方向へいっている人たちもいる。もちろん、世界中の原発を廃炉にするとしても、その廃炉の方法とその後の管理には、より高度な科学的技術が要求される。しかし、そのことと、原発を、誤魔化しのなかで、利権とお金のために作り続けることとは、全く違う問題である。

『この事故で日本壊滅の事態にならずにすんだのは、いくつかの幸運が重なった結果だと考えている』
(P119)
『もし、幸運にも助かったから原発は今後も大丈夫だと考える人がいたら、元寇の時に神風が吹いて助かったから太平洋戦争も負けないと考えていた軍部の一部と同じだ』
(P120)
この書物をはじめ、テレビ朝日の玉川氏の著書などを読めば、大爆発しなかったことが、どれほどの好運だったのか、が分かる。何しろ、どうして大爆発しなかったのか、誰にも本当のことが分かっていないのだから。
それこそ、異星人が、否、神様が助けてくれたのかもしれない。

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「東電福島原発事故 総理大臣として 考えたこと」菅直人著① [書物]

幻冬舎新書

2011年3月11日
私たち日本人は、未曾有の天災と事故を体験した。
こちらでも、このことの意味を考えたり、また、原発事故とその背景にあるうっそうとした事々について、あれこれ述べさせていただいてきた。

この書物では、その災難の只中で、日本国の総理大臣だった菅直人氏の、当時の回想と、それに伴う脱原発への思いと訴えかけ、が綴られている。

人間とは不思議なもので、私にも、原発事故があったとき、大丈夫、危険はない、そう思おうとする、思い込もうとする心が働いていた。テレビで安全だ、という学者の話を聞いてほっとしたり、まさかメルトダウンはないだろう、と思ってみたり。現に、報道でも、そういった危険性については、全く発表されていなかった。

しかし、この書物を読むまでもなく、すでに、私たちは、もうあの爆発直後から、メルトダウンが始まっており、非常に危険な状態にあったことを、知り得ている。

そして、そんな恐ろしい時のなか、11日翌日から、計画停電や物資不足によるいささかの困難はあったものの、東京では、普通の生活が営まれていた。

菅直人氏は、これまでにない、危機の状況を、日本の最高責任者として体験することとなった、今のところ、唯一の人物だろう。

これを読むと、どれほど恐ろしいことが起きていたのか、が伝わってくる。

斜に見る人々のなかには、こんなこと書きやがって、かっこつけやがって、とか、お前のせいだろう、などと評する人々もいることだろう。
それも致し方ない。なにしろ、総理大臣だったのだから。

最近になって、東京電力から、当時の音声つき映像が公開されたが、菅直人氏のこの回想も、見過ごすことはできない、と感じる。

東北から東京までの5000万人もの人々をどこへどう避難させるか、そして、天皇陛下に、いつ皇居から避難していただくか、それをずっと考えていた菅氏の当時の思いが伝わってくる。

日本は狭い、アメリカやロシアのように、どっと移動できる場所がまずない。
その上、別の原発に事故が起きれば、日本列島は汚染列島になる。
さらに言えば、中国や韓国の原発に何かあれば、放射能は全部日本へ流れてくる。
日本人は、よく考えたほうがいい。
今、ようやく原発事故を想定した避難訓練が行なわれはじめたが、かなりひどい状況までを想定して、日本人を受け入れてくれる国がどこかにあるのかどうなのか、も考えておいたほうがいい。国には、そこまで考えてほしい。肉体を持った人間が、物質的不具合のなかで生きていくことは、まこと苦しく厳しいと言えよう。
廃炉にしたとしても、放射性廃棄物はずっと残っているのであり、事故の危険性が全くなくなるわけではないのだ。

そう考えてくると、原発を推進するという選択肢がいまだ存在している、ということがまこと信じ難いことである。

今、まるで、何事もなかったかのような雰囲気さえ漂い、選挙の争点にはしないなどと言っている自民党議員もいるなかで、私たちは、さらに深く、原子力発電というものに思いを致すべきではないか。

次回へつづく・・・・

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