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「東電福島原発事故 総理大臣として 考えたこと」菅直人著③ [書物]

『5月6日に浜岡原発を停止させ、私が脱原発の姿勢をはっきりさせ始めた頃から、私に対する攻撃が激しくなってきた』
(P160)
菅氏が海水注入をストップさせたためにメルトダウンが起きた、という記事が読売新聞、産経新聞に載り、そこから、東電と自民党を喜ばせる菅バッシングが始まった。
最後には、とにかく菅がだめだ、ということで、菅さえいなくなれば法案を通す、という形になった。菅でなければ、被災地の復旧もどんどん進む、と自民党は言っていた。

本当にそうだったのだろうか。

海水注入ストップ問題や、いらいらいと怒鳴りつけるという東電や一部マスコミによる悪口、あの時現地に行ったのがいけなかった、などなど、その本当のところは、この書物を読むとよく分かる。もちろん、菅サイドからの事実確認だが。しかし、東電やマスコミ、官僚や自民党が言っていることが、いかに意地の悪いものであるかが見て取れる。

『発生確率が百年に一回の事故があるとする。それが交通事故なら、その車はかなり安全な乗り物と言える。しかし、仮にそれが「一回でも起きたら地球が崩壊する」というリスクであったら、百年に一回でも、千年に一回でも、誰もそんなリスクは取れない』
『地震、津波、原発の「三重のリスク」を負っている場所は、この地球上で、米国西海岸と日本列島の二か所ぐらいだ。しかも日本は広大ではないので、原発事故が最悪のケースになれば、国家の機能が停止してしまいかねない』
(P151)
原発政策を決断し推進してきた人たち、交通事故や飛行機事故と原発を引き比べて、原発は安全だ、という説明をする。とくに中曽根元総理が、原発事故のあと、いまだにテレビでその説明をしている姿を見て、私は、唖然とした。

『まず、私たち日本人が経験した福島原発事故が、国家存亡の危機であったという共通認識を持ち、そこから再スタートすべきだ』
(P190)
おおげさな、とおっしゃいますでしょうか?

『使用済み核燃料の中間貯蔵、再処理、放射性廃棄物の処理・処分の部分をバックエンドというが、これについては何も根本的な解決方法が見つかっていない』
『日本の核燃料サイクルの考え方は、高速増殖炉で燃料として使って発電するという考え方だ。その時、燃焼するプルトニウム以上の新たなプルトニウムを生み出すので、「増殖」という言葉が付いている。これは、劣化ウランと呼ばれる。多くの国が開発に取り組んだが、実用化できた国はない』
(P192)
増殖炉は夢だ、などと言っている石原氏、言語道断だ。

『原発維持を大義名分として巨額の資金を投入し続けようとしている。すでに、経済の原理からも大きく逸脱している』
(P193)
『再稼動問題は、電力会社の経営問題と深く関わっており、そのことを国民の前に明らかにする必要がある』
(P195)
原発が止まって困るのは、電力会社にお金が入ってこないからでしょう、と橋下氏は言っていた。

『冷静に考えれば、バックエンドの問題など、原発は3.11事故の前から完全に行き詰っており、今回の福島原発事故がはっきり答えを出したはずである』
『ここに、巨大な既得権益集団である原子力ムラの存在がる』
『戦前、軍部が政治の実権を掌握していったプロセスと、電事連を中心とする、いわゆる原子力ムラと呼ばれるものの動きとが、私には重なって思える』
(P197)
『それを見ていた多くの関係者は、自己保身と事なかれ主義に陥って、この流れに抗することなく、眺めていた。これは私自身の反省を込めてのことだ』
『現在、原子力ムラは、今回の事故に対する深刻な反省もしないままに、原子力行政の実権をさらに握り続けようとしている。戦前の軍部にも似た原子力ムラの組織的な構造、社会心理的な構造を徹底的に解明して、解体することが、原子力行政の抜本改革の第一歩だと考えている』
(P198)
寂聴さんが、ハンガーストライキをされたおり、戦争中よりもひどい、とおっしゃっていたことは記憶に新しい。
私も、こちらで、発信させていただいている。原発行政とその仕組みを変えることは、日本の仕組みを根本から変えることにつながる、と。お金と欲と特権の渦巻く、社会の病巣の縮図だからだ。
こんな醜いものを生み出した自民党は、まず、そのことを反省し、謝罪してもらいたい。
次期総選挙で政権を奪還するなどと、浮かれている場合ではない。
あなたたちなら、菅氏よりも上手く処理ができたかもしれない。しかし、それは、お金や脅しを使って、人を黙らせ、ひたすら官僚の言いなりになって隠蔽していくから、上手くいっているように見えるだけなのだ。それが、自民党の政治手法だ。

冒頭に戻るが、11月1日のテレビ朝日「モーニングバード」の玉川徹氏のコーナー「そもそも総研」で、この書物と、菅直人氏について取り上げていた。
菅おろしはどうしてはじまったのか、と。
まさに、冒頭の通りである。

玉川氏は、コーナーをこう締めくくった。
菅氏をやめさせたい東電の意向にメディアが乗っかってしまった。
菅総理が継続すれば、脱原発にいくから。
原発事故に関しては、喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではすまない。
菅さん以上の人は720人のなかにいたかもしれないが、菅さんのようにできた人はいなかったと思う。

菅おろしがはじまったとき、テレビ朝日のこの番組だけが、菅応援をしていた。
私も同感だった。

これは、放射能と向き合い、放射能とともに生きていかなければならなくなった日本人の通り越した一場面であり、新しい世界観を持つように仕向けられた出来事であった。

さて、次の選択をどうしていくのか、それは、私たちひとりひとりにかかっている。

原発の輸出もやめたほうがいい。
イギリスで原発建設の受注が決まったそうだが、地元のご婦人が言っていた。あんな事故が起きた日本の企業が、ここで原発を作るなんて、心配だわ、と。
このご婦人の心配は、日本の技術のことを言っているのだろう。未熟で、欠陥があったから、大事故を起こした、と。だとしたら、ご婦人は、技術は確かだと証明されたら、安心するのだろう。
しかし、私たちは、別の意味を考えなければいけない。まさに、菅氏も言っていた技術ではなく、哲学として。
あんな大事故が起きて、多くの人々が住む場所を奪われて、たくさんの母親や子供たちが放射能に怯えるという事態を目の当たりにした国の人たちが、外国で原発をつくるって、どういうこと?あなたたちは、何も感じていないの?

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