SSブログ
映画・TV ブログトップ
前の10件 | -

「リーガル・ハイ」 と脚本家・古沢良太氏のすごさ、そして第9話での古美門(堺雅人)弁護士の小気味好いセリフ [映画・TV]

長い記事ですが、お付き合いいただけましたら幸いです。

フジテレビで放送されていた「リーガル・ハイ」。
先ごろ、菅野美穂さんとのご結婚を発表された堺雅人さん主演のドラマです。
私は、リアルタイムでは見ておらず、先日スペシャルドラマを見て、なんとも面白いドラマではないか、と、シーズン1を、このたび、一気に全て、見ました。
破天荒な弁護士・古美門研介(こみかど けんすけ)と、ひょんなことから共に仕事をすることとなった、新垣結衣さん演ずる生真面目な新米弁護士・黛真知子(まゆずみ まちこ)が、様々な問題に立ち向かいます。古美門は、裁判負けなし弁護士、そしてお金!

このドラマが、これまでの法律ドラマと少し違うのは、裁判に勝ってめでたしめでたし、ではないところです。
古美門と黛が、どちらサイドの弁護に立とうと、正義、という観念は貫かれています。
そのなかに、コメディと、そして、しっくりしない含みのあるエンディング、があります。たとえば、実は古美門が勝たせたクライアントが、本当は加害者だったかもしれない、あるいは、お金欲しさだけの訴えだったかもしれない、それは目論見済みかもしれないし、結果論かもしれないが。
弁護士が法律を扱うドラマですから、社会派ドラマになることは当然ではありますが、事実(問題)と人間の心理が、ときに不条理に絡み合って、なかなかよく描かれています。見事です。

社会の闇をコミカルに描くことで、率直さかげんが和らいでいるところが、頭の良い手法であり、また、脚本家の才能でありましょう。
愉快痛快です。

脚本家は、古沢良太氏。
「三丁目の夕日」が有名なところでしょうか。
私が今回調べて知り得たのは、テレビ朝日の「相棒」シリーズでも、いくつかの脚本を手掛けている、ということです。
私も「相棒」ファンのひとりですが、実は、最初から興味があったわけではありません。初めて見たのが、しかもたまたま、お正月スペシャルの「バベルの塔」でした。刑事ものとして、すっごく面白いと感じました。それから「相棒」を見るようになったのですが、その脚本が、古沢氏だったのです。そのほか、やはりお正月スペシャルの「聖戦」、鈴木杏樹さんがゲストの「ついてない女」「ついている女」シリーズなど(鈴木杏樹さんは、現在レギュラーです)、興味深い作品があります。
一番新しいシーズン11では、18話「BIRTHDAY」(加藤清史郎くんゲスト出演)があります。これも、面白かったですよ。ちょっと、いや、かなりスピリチュアルな状況設定で、え~、と最後に驚かされる(まんまと物語に引き込まれました)作品でした。つまり、ネタバレになりますが、あの子幽霊だったのぉ、と。

さてさて、なぜ、今こうして、「リーガル・ハイ」について書かせていただいているか。
一話一話、それぞれにメッセージ性が高く、そのひとつひとつについて思いっきり感想を述べる価値があるほどなのですが、なかでも、9話「恩讐の村人よ、美しき故郷を取り戻せ」、10話「破産か5憶か!さらば誇り高き絆の里」が、すごかったからです!特に、9話中の古美門(堺雅人)のセリフが、圧巻なのです。

これは、まさに日本社会の仕組み、それもい深い闇をつくっていく仕組みそのもの(古美門弁護士も言っていますが)を、鮮やかで、無駄のない、完璧に的を射たセリフ回しで言い放ってくれています。

ある美しい村に、化学工場ができてから、病人が増え、誘致に賛同した村人たちも、いささかおかしいと思いはじめた。そして、公害訴訟を起こそうとするのだが・・・。
結局村人たちは、和解に応じようと決め・・・。

以下、圧巻の場面です。
堺雅人の演技もすごい!

古美門~すばらしい!みなさんのお考えに感服いたしました。さすがふれあいと絆の里だ。それではそのように手続きしましょう。黛くん、あとは頼んだ。さようなら。
黛~先生これでいいんですか?
古美門~いいんだよ。
黛~でも。
古美門~彼らが良いと言ってるんだから。ですよね、みなさん。
村人~ええ、この世には金よりも大事なものがありますから。な!
村人達~そうだ、そうだ。
古美門~見たまえ、彼らの満足そうなこの表情を。ズワイガニ食べ放題ツアーの帰りのバスの中そのものじゃないか。黛くん、よく覚えておきたまえ、これが、この国の馴合いという文化の根深さだ。人間は、長い年月飼い馴らされると、かくもダニのような生き物になるのだよ。
村人~なにぃ?オレたちのこと言ってんのか!
古美門~他に誰かいますか?自覚すらないとは本当にうらやましい。コケにされているのも気づかないまま墓に入れるなんて、幸せな人生だ。
村人~あんたちょっとひどいんじゃないか?
古美門~申し訳ありません。最初に申し上げたとおり皆さんのような惨めな老人どもが大っ嫌いなもんでして。
村人~おい若造、お前なんなんだよ!お前そんなに偉いのか!
村人~そうよ!目上の人を敬うってことがないの?
村人~私たちは君の倍は生きてんだ!
古美門~倍も生きていらっしゃるのに、ご自分のこともわかっていらっしゃらないようなので教えて差し上げているんです。いいですか、皆さんは国に見捨てられた民、棄民なんです。国の発展のためには年金を貪るだけの老人なんて無価値ですから、ちりとりで集めてはじっこに寄せて、羊羹を食わせて黙らせているんです。大企業に寄生する心優しいダニ、それが皆さんだ。
黛~先生もうやめてください。
村人~てめえだってダニに寄生してるばい菌じゃねえか!
村人~あたしたちの何が気に入らないの?
古美門~かつてこの地は、一面に桑畑が広がっていたそうです。どの家でも蚕を飼っていたからだ。それはそれは美しい絹を紡いだそうです。それを讃えて人々は、いつしかこの地を絹美と呼ぶようになりました。養蚕業が衰退してからは稲作に転じました。日本酒に適した素晴らしい米を作ったそうですが、政府の農地改革によってそれも衰退した。その後はこれといった産業もなく、過疎化の一途を辿りました。市町村合併を繰り返し、補助金でしのぎました。五年前に化学工場がやってきましたねぇ。反対運動をしてみたらお小遣いが貰えた。多くは農業すら放棄した。ふれあいセンターなどという中身の無い立派な箱物も建ててもらえた。使いもしない光ファイバーも引いてもらえた。ありがたいですねぇ。絹美という古臭い名前を捨てたら南モンブラン市というファッショナブルな名前になりました。なんてナウでヤングでトレンディなんでしょう。そして今、土を汚され、水を汚され、病に冒され、この土地にも最早住めない可能性だってあるけれど、でも商品券もくれたし、誠意も絆も感じられた。ありがたいことです。本当によかったよかった。これで土地も水も甦るんでしょう。病気も治るんでしょう。工場は汚染物質を垂れ流し続けるけれど、きっともう問題は起こらないんでしょう。だって絆があるから!
村人~わぁぁぁ。(古美門を殴りつける)はなせぇ。てめえなんか、てめえなんか、ぶっ殺してくれるぅ。
村人~譲二の気持ちはもっともだ。
村人~そうよ、どうしてそんな酷いことが言えるの?あんたは悪魔よ!
村人~あんたなんかに、オレたちの苦しみがわかってたまるか!オレたちだってあんたの言ったことぐらい、いやというほどわかってる。みんな悔しくて悔しくてしかたねえんだ。だけど、必死に気持ちを押し殺し、納得しようとしてるんじゃないか!
古美門~なぜ?ゴミクズ扱いされているのをわかっているのに、なぜ納得しようとしてるんです?
村人~オレたちはもう年寄りだし。
古美門~年寄りだからなんなんですか?
村人~具合が悪いのにみんな頑張ってきたんだぁ。
古美門~だから何だってんだぁ!だから労わってほしいんですか?だから慰めてほしいんですか?だから優しくされたらすぐに嬉しくなってしまうんですか?先人たちに申し訳ないとは、子々孫々に恥ずかしいと思わないんですか?何が南モンブランだ。絹美村は本物のモンブランより遥かに美しいと、どうして思わないんですか!誰にも責任を取らせず、見たくないものを見ず、みんな仲良しで暮らしていけば楽でしょう。しかしもし、誇りある生き方を取り戻したいのなら、見たくない現実を見なければならない。深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。戦うということはそういうことだ。愚痴なら墓場で言えばいい。金が全てではない?金なんですよ。あなた方が相手に一矢報い、意気地を見せ付ける方法は、奪われたものと、踏みにじられた尊厳にふさわしい対価を勝ち取ることだけなんだ。それ以外にないんだ。
錦野春夫さん、あなたは元郵便局長だ。幾度となく閉鎖されそうになった村の郵便局を最後まで守り抜いた。守口三郎さんは小学校の校長先生。村にいた子供たちはみんなあなたの教え子だ。奥さんの久子さんは、町のデパートの化粧品売り場で月間売り上げの記録の保持者。郷田譲二さんは実に100ヘクタールもの田畑を開墾した。河田聡子さんとご主人は、田んぼをやりながら日雇いの仕事をいくつもいくつも掛け持った。富田安弘さんは商店街の会長。毎年祭りを盛り上げて、あのクリスタルキングを呼んだこともある。板倉初江さんは女だてらにクレーン車を動かし、六人の子供を育て上げた。敗戦のどん底から、この国の最繁栄期を築き上げたあなた方なら、その魂をきっとどこかに残してる!!!・・・・・・はずだと期待した私が愚かでした。いいですか、二度と老後の暇つぶしに私を巻き込まないでいただきたい。心優しいダニ同士、お互い傷をなめあいながら穏やかに健やかに、どうぞくたばっていってください。それではみなさん、さようなら。


このあと、化学工場を誘致した当時の村長だった人物の妻が、死んだという知らせが入る。自分の遺影を持って、傍聴席を埋め尽くせ、という遺言を残していた。村人たちは、裁判に臨むことを決意する。
10話では、最後、裁判に勝ち、お金を受け取って、美しい村を再建すると誓う村人たち。


この場面、まるで、原発とその政策を彷彿とさせますね。
もちろん、ここで言われている、馴合いの構造、仕組みは、原発に限らず、日本のあらゆるところで起きているわけです。
ドラマには、たまに、内容的な不具合(権力者と当事者たちにとって)から、欠番となることもあるようですが、そうならないことを祈らずにはいられないほど、率直です。
古くはウルトラセブン、最近では相棒にもあったようですね。

堺雅人さんは、ものすごい早口で、これらのセリフをまくし立てています。
まだご覧になっていない方は、ぜひ、映像と音声で、ご覧になってください。
堺雅人さんの演技力もあっぱれ。
新垣結衣さんも、良い役に恵まれましたね。ファンになりました。

余談ですが、TBSの安住アナウンサーは、もともとリーガル・ハイのファンだそうですが、上記の古美門のセリフ、感動して、やはり、書き起こしておられる、とか。

さらに余談ですが、堺さんのフィアンセ菅野美穂さんも、「曲げられない女」で、正義の味方の一本気な弁護士(正確には弁護士を目指す女性)を演じておられました。

水俣病の公害訴訟、すでに50年だそうです。
福島の原発について尋ねられた被害患者のおひとりがおっしゃっていました。50年前と、国のやり方はまったく同じだ、と。

これも、ひとつの符合なのでしょうか。
古沢良太氏の描いた、「三丁目の夕日」と「リーガル・ハイ」。

敗戦から立ち直り、経済的発展と裕福な生活を実現した日本。
その成熟を、新しい方向へ進めなければいけなかったはずの日本。
今、三丁目の夕日の時代を懐かしみ、そのころの精神性、つまり、一番になるんだ、金を儲けるんだ、という戻り道に入ろうとしています。
美しい日本と言っていた安倍氏。それを壊してきたのは、国策でした。

どう捉えますか?
そして、どう選択していくか、それは、国民ひとりひとりの心の成熟にゆだねられているのでしょう。

テレビドラマという娯楽のなかで、こうした社会的メッセージを発信していただくことは、ありがたいことです。
しかも、ここまではっきりと言ってくれた人は、権力に立ち向かっているジャーナリストにも、これまでいなかったのでは?

この「リーガル・ハイ」の場面と、こちらでもご紹介させていただきました「麒麟の翼」の一場面(http://uchu-no-housoku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-27)、そして、高橋優の歌「素晴らしき日常」「サイレント・マジョリティ」etc、を国会で流したらいいのでは?

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。


コメント(10) 
共通テーマ:テレビ

「純と愛」+α~ねむり姫と奇跡~ [映画・TV]

軌跡、足跡ではありませんよ。
奇跡、ミラクルです。

前回の記事で、最終回についての感想を書かせていただきました。
加えて、さらに少し。雑談を聞いてください。

奇跡、についてです。

この物語には、「ねむり姫」のイメージがついてまわっていました。
劇中に出てくる「ねむり姫」は、愛(いとし)くんが子供のころお母さんに読んでもらっていた絵本です。愛(いとし)くんとお母さんとの愛の思い出です。
その絵本の絵は、このドラマのオープニングで使われている荒井良二さんの絵です。
オープニングでも、眠ったまま目覚めないお姫様が王子様のキスで目覚める、という場面が映し出されます。

このドラマを見ている人々は、お姫様が純で、王子様が愛(いとし)くんだ、と思って自然かと思います。
あるいは、男女が幸せに結ばれること、そして、力を合わせて生きていくこと、というドラマ全体に漂っている雰囲気を読み取るかもしれません。
純は、愛(いとし)くんと出会って、そして、自分の夢を実現していく道を歩んでいくことになりました。
本当の自分に目覚める、本当の自分をなくさない、ということを暗示しているのかもしれません。

けれども、なんと、眠ったまま目覚めなくなってしまったのは、愛(いとし)くんでした。
もしかして、「ねむり姫」よろしく、純のキスで愛(いとし)くんが目覚めたりするのかしら。ストーリー進行中に、そんな風に思った視聴者も多かったのでは?そして、めでたしめでたし、と。
ですが、前回の記事で書きましたように、否、「純と愛」ファンはすでに皆様ご存じのように、ハッピーエンドではありませんでした。

もともと出だしから、このドラマは、スピリチュアルでした。愛(いとし)くんに人の正体が見える、というのは、まさに、いわゆる霊能力ですから。
そして、さらなるシンクロニシティのなかで、物語は進んでいきます。
だったら、やっぱり最後の奇跡は・・・。
いいえ、違いました。奇跡は起きませんでした。

いや、実はもっと深いところに、その意味は隠れていました。
仲間たちの応援もあって自分のすべきことを思い出した純が、海に向かって、前進していくための力強い宣言をします。
そのなかに「神様は信じない。奇跡は自分でつくっていくものなんだ」というセリフがありました。

その通りです。
えっと、正確に言いますと、少し違います。神様、何か大きな人智を超えた宇宙的存在については信じていいと思います。と言いますか、人間は、大いなるものへの畏敬の念を実はいつも持っているものなのですが。
しかし、だからと言って、例えば信仰心イコール奇跡という単純な法則ではなく、奇跡は神様や天使が勝手に起こしてくれるというのではなく、まさに純のセリフにあるように、奇跡は私たち自身でつくっていく、生み出していくものなのです。
奇跡、というと、降ってわいたようなイメージを抱きがちですが、そうした現象が起きる背景には、私たちの「思い」というものの存在があるのです。
それは、様々な形でつながっていくのではありますが、・・・長くややこしい話になりますので、別の機会に。

このいささか不可思議なドラマは、最後に、奇跡の起こし方を教えてくれた、と言っても過言ではない、その道のりは、まさにこのドラマのストーリーでした。
本当の自分と、そして、夢を叶えていくことの素晴らしさを見せてくれたドラマでした。


コメント(0) 
共通テーマ:テレビ

「純と愛」が最終回を迎えました [映画・TV]

先週が最終週だった「純と愛」。
こちらで何度か記事にさせていただきましたので、やはり、これは今、書かなければいけない、いえ、書くことが私の役目だとも、大げさにも感じて、書かせていただきます。

なんとも重い。

3月12日に、愛(いとし)役の風間俊介さんが、「スタジオパークからこんにちは」に出演されて、最後は重い話になります、でもこれが人生なのかな、とおっしゃっていました。
え~、それどういうことだろう、なんか、ハッピーエンドではないような・・・と思っていたのですが。。。
その2日後には、純役の夏菜さんが出演されていたのですね。それは、見逃しました。残念でした。

なるほど、いわゆるハッピーエンド、ではありませんでした。
映画やドラマにありがちの、これまでいろいろあったけど、丸く収まりました、大団円、めでたしめでたし、では全くありません。
そもそも、遊川氏の作品は、そのような感じ、でしょうか?
にしても、です。

最終週のテーマは「いきる」。
愛(いとし)くんが、脳腫瘍で倒れて、そして手術はしたのですが、愛(いとし)くんが目覚めることはありませんでした。
目覚めない愛(いとし)くんを自宅(まほうのくに)へ連れて帰り、看病する純。
愛くんの希望も、仲間たちの希望も、ホテルをオープンさせることなのですが、純にその気は起こりません。
そんななか、かつての仲間、ホテル大崎と里やのメンバーが、事情を知らずにやってきます。
それぞれが、愛(いとし)くんへの熱い思いと、そして、なによりも、純への応援の気持ちを抱いています。

ホテル大崎での上司桐野女史が、里やから純についてきた羽純ちゃんへに「若者たち」をリクエストします。
羽純ちゃんは、歌いだします。

♪♪♪
君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで

君のあの人は

~羽純ちゃんは、ここで口をつぐみます。歌えません。
しばらく躊躇したあと~

今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか あてもないのに

君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる
♪♪♪

この場面は、最終週の圧巻だったのではないでしょうか。

純の周囲の人たちは、決して、純に同情したり、純のことをかわいそうだと思ったりしていません。同情や哀れみを優しさや親切や愛情だと勘違いしている人もときにいますが、それは、逆に失礼な心の態度です。
純の仲間たちは、純を応援し、本当の純でいることを望んでいます。たとえ辛く厳しいことがあっても。
それが真の魂の友、心の友、なのかもしれませんね。

この時点では、純は、まだ立ち直れません。
このあと、認知症のお母さんと語り合い、過去の自分と出会うなかで、次第に感情の整理がついていきます。

お父さんを亡くし、お母さんは認知症、愛(いとし)くんは目覚めない状態。
自分の勤めたホテルは次々と不幸に見舞われる。

しかし、そのなかで、純は、確実に成長し、そして、多くの出会いを得てきました。
人生、ですね、まさに。

さあ、いよいよ「まほうほくに」がオープンします。
そこへ向けて、新たなスタートを切りました。
ここで、純と仲間たちは、たくさんの幸せを見届けてゆくことでしょう。

欲を言えば、オープンしたところまで見せてほしかったのですが。。。
ま、これはこれで。

愛(いとし)くんが、人の正体が見えたりするのは、脳腫瘍のせいだった?のでしょうか?
ま、それはそれ。詮索するのはやめましょう。

良い物語だったと思います。
心を扱う物語は、最近多くなりました。
こうして人生を語りながら、この世の不条理や真理を示してくれるドラマを、これからも期待します。


コメント(0) 
共通テーマ:テレビ

「純と愛」のスピリチュアリティ [映画・TV]

今週の「純と愛」は、またまた真理、宇宙の法則でした。

これまで試練ばかりの純でしたが、いよいよ自分のホテルがオープンというときに、愛(いとし)くんに脳腫瘍が。
手術を前に、純と愛(いとし)くんは、心が揺れます。

純:神様なんていないよ。だって神様がいたら愛(いとし)くんをこんな辛い目にあわせたりしない。
愛:神様はいますよ。でも神様は、僕たちが思っているような全知全能の神様じゃないんですよ。神様は、ちょっとのことしかできないんです。ホームランを打ってくれってみんなが願っているとホームランを打ってくれたり、僕と純さんを出会わせるために、ぶつからせたり。
ちょっとした機会をくれるんです。
結局自分たちの人生を決めていくのは、自分たちの意志なんです。
*****
その通りです。
神様がいれば、辛いことは与えない、という理解は、ちょっと違います。
私たちは、魂の成長のために生まれきているのですから。
少し前の回でも、あまりに辛い事が続くなかで、神様なんているのか、という二人の会話もありました。→http://uchu-no-housoku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-04
むしろ、神様は試練をたくさん与える、と言ってもよいほどかもしれません。
とはいえ、もちろんそれだけではありません。この話は長くなるので、ここではしません。
さて、ここで愛(いとし)くんが言っているように、神さま、宇宙が与えてくれるのは、チャンスです。それは、別名、シンクロニシティとも言えましょうか。
そして、実は、そのシンクロニシティを起こしているのは、私たち自身の思い、意志、なのです。そのことを、愛(いとし)くんが、NHKではっきりと言ってくれました。
遊川和彦さん、あらためて本当にすごい!
*****

死ぬのが怖いと病院のベッドで泣き崩れる愛(いとし)くん。
どうして僕が死ぬんだろう、僕なんかより死んだほうがいいやつがいるだろう、なんて思ったりして、どんどん嫌な奴になって、どんどん臆病になっていくんです。
*****
これも、やはり少し前の回で、同質のことを言っていました。
自分がものすごく立派な人間だとか、そういうことを言いたいのでは決してありません。少なくとも、正直に懸命に逆境を乗り越えながら前を向いて生きていた自分たちは、明らかに狡賢く、強欲で、意地悪で、人を騙したり、蹴落としたり、傷付けたりしてのうのうとほくそ笑みながら生きている人よりは善良だと、そういった思いがあるのでしょう。もちろん、悪人に見える人たちにも、それ相応の人生があり、そのなかでのそれなりの努力もあるでしょう。これもまたより正確に語るには、紙面と時間が必要です。
愛(いとし)くんのすごいところは、どんどん嫌な人間になっていく、と自分のことを俯瞰して見つめていることです。
たいていの人が、ここまでいきません。俺より不必要な奴が世の中にはいっぱいいるだろう、と悲観し抵抗するところで思考が止まります。
こうした気付きを得ることもまた、スピリチュアルと言えましょう。
*****

さて、来週で「純と愛」は終わります。
どのように終わるのでしょうか。遊川氏の脚本力に期待!

*セリフは、番組内そのままではありません。

コメント(0) 
共通テーマ:テレビ

純と愛/脚本家・遊川和彦のすごさ 本当の自分 やっぱりそうだった! [映画・TV]

NHK・朝の連続テレビ小説「純と愛」もいよいよクライマックス。

こちらでもすでに書かせていただきました。
主人公の夫である「愛」と書いて「いとし」くんは、人の本性が見えてしまうという霊能力を持っています。妹はにおい、父親は耳鳴り、によって、いささか日常生活に不具合があります。母親は、愛のふたごの弟が死んでからずっとネガティブな状態ですが、有能な弁護士です。愛くんの能力を嫌がって、精神科へ通わせたりしていた母は、実は、見える、におう、耳鳴り、の3つともの能力を持っていたことが先ごろ判明しました。
主人公・純は、宿泊した人が幸せになるホテルを作るのが夢です。それを「まほうのくに」と呼んでいました。そのため、大阪のホテルで働きながら、がんばっていました。
ところが、そのホテルも外資系のホテルに売却され、その間、沖縄の実家のホテルも父親が売り飛ばしてしまい、路頭に迷っているときに拾ってくれた小さなホテル「里や」も火事で消失してしまいました。

先々週は、純が「まほうのくに」をつくることを諦めたお話でした。
「まほうのくに」になりかけていた「里や」が消えてしまい、意気消沈している純とそれを慰めようとする愛(いとし)くんとの対話、とくに愛くんの激情のセリフが、真理をついていました。それは、正直に生きている純粋な魂たちの心の叫びであり、多くの人々が感じていながらも発言できない、残念ながらそのような、この世的真実でした。
それを、以下にそのまま書いてみます。

純「なんか冗談みたい。私がかかわったホテル、ぜんぶなくなっちゃうんだから。おじいのホテルでしょう、おおさきでしょう、それに里やまで燃えちゃうなんてさ。ねえ、この世にさ、神様なんているのかな。いるんだったらなんでこんなことするんだろう。あ、もしかしてあれかな、私に、もうホテルで働くのやめろって言ってくれてるのかもしれない」
愛「そんなことないですよ」
純「どうすればいいの?私は」
愛「純さんは今までどおりの純さんのままで」
純「そんなことしたって、みんなが不幸になるだけじゃない。私は結局、人のことをしあわせにするとか笑顔にするとかできないの」
愛「なにいっちゃってるんですか?おれはあなたと出会えたおかげでめちゃくちゃしあわせになったんですけど。僕だけじゃない、あなたと出会ったことで、いろんな人が笑顔になりました、希望を持ちました。いろいろな人が結びつくことができました。どんなことがあってもその事実だけは消すことができないんですけど。違いますかね?」
純「じゃあ、何で行くさき行くさき、こんな酷い目にあわなきゃなんないの?」
愛「それは、あなたが、どんな辛い試練でも耐えられる、・・・・
おれだってわかんないっすよ!めちゃくちゃはらたちますよ!神様いるのかって思いますよ!でもね、人生はそんな説明できることばっかりじゃないんですよ!こんな理不尽なことばっかり起きてるんですよ!一生懸命がんばってる人間ばかりが損をして、なんかずるして楽してる奴がのうのうと生きてるんですよ!だから、いじめとか差別とか戦争とか、そんな、いつまでたってもなくなんないんですよ!それでも、それでもおれたちは、諦めずに生きていくしかないんですよ!
愛するためです。自分の大切な仕事や、自分の大切な人を、愛して、愛して、愛していけば、笑顔を取り戻せるんですよ。希望を取り戻せるんですよ。奇跡を起こせるんですよ。そう思うことに決めました、いま僕は。・・・泣いてください、あなたは誰よりも悲しんでいるんだから」

遊川和彦氏は、「女王の教室」「家政婦のミタ」「曲げられない女」を手掛けた脚本家です。
この3作品も、表面的な話題性のみならず、実は、主人公の発するセリフが、かなり深遠な真理性を帯びていました。

しかし、今回、この愛(いとし)くんの
「こんな理不尽なことばっかり起きてるんですよ!一生懸命がんばってる人間ばかりが損をして、なんかずるして楽してる奴がのうのうと生きてるんですよ!だから、いじめとか差別とか戦争とか、そんな、いつまでたってもなくなんないんですよ!それでも、それでもおれたちは、諦めずに生きていくしかないんですよ!」
は、まったくもって、ばっちりそのまま率直な思いの吐露、となっています。

遊川氏は、日常生活のなかにいささか違和感のある状況と人物設定をして、何気にそのストーリーに社会派的正義とやるせなさ、を盛り込んでいます。
なかなか稀有な才能ではないでしょうか。そして、その思いや如何ばかりでしょう。

その上今回は、「神様なんているのかな」と純に言わせてしまった、夢を諦めようとするまで追い詰められた人生の試練・・・正直にがんばっている人の誰もが、ときに感じた事のある感情ではないでしょうか?
良いことをしようとしても、正しいことをしようとしても、周囲は権力者側について、結局自分が悪者にされてしまうなど、よくありますよね。内部告発をした人に襲い掛かる様々な非難も良い例です。そんなとき、大人になれよ、などと言う人もいます。政治家もそうですね。つまり、日本で言うところの「大人になれよ」は、不正直になって、ずるく生きなよ、権力に屈しろよ、ということです。「うその自分になれよ」と。

しかし、愛(いとし)くんは言います。
「だから、いじめとか差別とか戦争とか、そんな、いつまでたってもなくなんないんですよ!それでも、それでも俺たちは、諦めずに生きていくしかないんですよ!」
あきらめないで生きていくなかで、一歩ずつ、愛(あい)を広げていくしかないのです。

ところで、認知症を発生していた純の母親が、このときから、純のことを認識しなくなりました。あなた、だあれ?純はどこへ行ってしまったの?と。
なるほど、純が、本当の純を見失って、別の人生を歩もうとしているから、お母さんには純が見えなくなってしまったのだな、と思っていましたら、その通りでした。
今週、純が、ある人のサポートを得て、ホテル、まほうのくに、をつくろうと決心したとき、母親は、再び純を見つけることができました。

私は、こちらでも、本当の自分を発見することの大切さについて何度もお話しさせていただいていますが、まさに、そのことです。
同じ思いを、このような才能溢れる形で伝えてくださって、嬉しく感じます。

純は、あまりに純粋な魂ゆえ、いわゆるこの世では損ばかりしてきた人です。親との確執もありました。そして人のために一生懸命になることで、逆に理不尽な経験もたくさんしてきました。
「純と愛」は、先の3作品と較べて、「人生」というもののストーリーを展開してくれている、と思います。
本当の自分、出会いの大切さとそれがもたらすもの、夢の実現。

う~ん、それにしても、
この遊川氏、いったい何者?
「すいか」「かもめ食堂」「めがね」「マザーウォーター」「トイレット」「レンタネコ」に通ずる不思議さと同じ種類のにおいを感じます。


このページへ、多くの方にご訪問いただき、ありがとうございます。
関連記事をご紹介いたします。
お時間ありましたら、ぜひお立ち寄りくださいませ。
http://uchu-no-housoku.blog.so-net.ne.jp/2012-10-29『純と愛』
http://uchu-no-housoku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-23-1『純と愛のスピリチュアリティ』
http://uchu-no-housoku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-31『「純と愛」が最終回を迎えました』

コメント(0) 
共通テーマ:テレビ

映画「麒麟の翼」から考察する、退職金を巡る教師の早期退職と教師の体罰による生徒の自殺という悲しい事件 [映画・TV]

「麒麟の翼」という映画がある。
東野圭吾の「新参者」シリーズだ。
複雑に入り組んだ人間模様を紐解きながら、人の心の機微、愛と思い遣り、を描き出す、刑事ドラマだ。
「麒麟の翼」のなかでも、いくつかの人間愛が映し出されている。
そのなかのひとつ、犯人とその犯行の呼び水となった伏線、影響が、まさに、教師の取った態度なのであった。


大阪市立桜宮高校で起きた悲劇によって、教師による、特に部活動、スポーツ活動中の体罰、それによる生徒の死亡や怪我、という出来事が、あちらもこちらもと明るみとなっている。死や大きな怪我という出来事を伴わなくとも、心に傷を負っている生徒まで含めれば、もしかするととても大きな数に及ぶのかもしれない。
この高校では、在校生やその親たちは、体罰を容認していて、一日も早い元通りの生活を望んでいるようだが、橋下市長は、入試の中止や教師の総入れ替えなどを要望し、なんとか改革の方向へ進めようとしている、・・・ように見える。
ここには、様々な問題が絡んでいる。
が、利権と自己保存欲のもとで教師も教育委員会も動いている、という基本的な問題があるだろう。

誰も責任を取らない、取れないこの仕組みは、電力会社のそれとまったく同じ構図だ。
私は、こちらで何度か訴えかけてきた。
震災後、私たちの目に明るくなった、電力会社の強大な権力とシステム、原子力ムラという病んだ利権構造。震災直後は、この仕組みを変える大チャンスだった。にも拘らず、民主党はできなかった。むしろ温存することに貢献してしまった。
私は、こう思っていた。この仕組みを変革できたなら、日本の既得権を主体とした仕組みがぼろぼろと崩れて、新しい社会へと向かっていくことができるだろう、と。

退職金の引き下げにより、教職員の退職金が100万円ほど少なくなる、ということで、その施行期日の前に早期退職してしまえ、という教師が大勢出現した。
卒業を控えた生徒、受験中の生徒たちを残して、という教師もいるのではないか。卒業や受験がなかったとしても、担任が、この年度末に急にいなくなる、というのは、よほどの事情がない限り、生徒としてもびっくりだろう。いや、退職金の減額は、よほどの事情か?
生活その他、100万前後のお金は、確かに大切かもしれない。それぞれの自治体の手腕にも首を傾げざるを得ない。東京都は中途で退職した場合は退職金が下がるということになっているらしいので、施行の仕方は、もっと頭の良い方法があったのではないか、とは誰もが思う疑問ではないか。
さらに、退職した教師が、残りの期間をボランティアや時給700円でやらせてくれなどといった話もあるようだが、なんとも情けない。
何のために教師をやってきたのだろう。
あえて言えば、たった100万のために、生徒を捨てた先生、だ。

私は、いつも言っていますが、お金を稼ぐことは大事です。お金がなければ生きていけません。やりたいこともできません。自由や時間も、お金が解決してくれる、と言っても過言ではないのが、今の地球です。

しかし、これは、志の問題であり、社会の仕組みの問題、ではないか。
お金お金お金!でやってきた日本。そこには大きな歪みが巣食ってきた。
既得権ばかりをむさぼる人々。
ちょっとした契約などで、日付を変えると少し得だよ、と教えてくれる親切な管理のおじさんや経理のおばさんとは訳が違う。
役所にもそうした親切心はある。
もちろん、今回のこの出来事は、逆の現象だ。だが、根本的な思いのありどころが同じだ。

権力者側も、市民側も、両方ともに、意識の変革が必要だ。

上記2つには、不幸なことに、子供たち、という存在が重くのしかかっている。
これは重大なことだ。

子供たちは、大人の姿を見て育つ。大人たちの影響を少なからず受けて、大人になっていく。

政治家も同じだ。いついつまでに政党をつくれば、助成金がもらえる。もちろん、政党をつくるのだから、政治をするにはお金がかかるのだから、助成金がもらえるのともらえないのとでは、まったく違うだろう。もらえるものはもらったほうがいいに決まっている。
政治家が身を切る改革をしないがゆえに、官僚も改革できないし、社会の仕組みを変えることもできない。ひとえに保身、だ。
教師も教育委員会なるものも、生徒のことなど考えていない。
政治家は、国民のことなど考えていない。国民は、税金を献上する生き物たちだ。
そんな政治家が、情けない教師たちや教育委員会に、あれこれ言えるはずもない。
同じ穴の貉、なのだから。

しかし、変えていける人が立ち上がって、変えていかなければいけない。
国民は、その後押しができる。


さて、「麒麟の翼」だが、まさに、この映画のクライマックスでの刑事のセリフが、今浮上してきている事件の数々にぴったりと当て嵌まるのである。

犯人ばれになるので、これから映画を見ようという方は、以下は読まないでください。



青柳悠人(松坂桃李)の父、青柳武明(中井貴一)が殺された。
様々なストーリー展開を経て、犯人は、悠人の中学時代の友人だったことが判明。
中学時代水泳部だった悠人と同級生たち。仲間のひとり吉永を、大会のリレーで失敗したことで責めた。学校の夜のプールでしごきをし、気付くと吉永は、溺れていた。命は取り留めたが、車椅子の生活で意識もなくなっていた。吉永の母親のブログを悠人が発見し、さらにそれを悠人の父が発見したことが、殺人事件の呼び水となったのだった。悠人の父は、息子が水泳部をやめたことにずっと不信を抱いており、そのこともあって、親子の関係はずっと良くなかったのだ。
プールでの事故は、水泳部顧問の教師・糸川(劇団ひとり)が、悠人たちを帰宅させ、自分が吉永を偶然発見したという説明を警察にして、事無きを得ていたのだった。
以下は、映画の最終場面、取調室での刑事・加賀恭一郎( 阿部寛)と糸川との遣り取り。

~あなたが教え子の事故を隠蔽したせいで、こんどは教え子が自殺するところでした。
~隠蔽って、あのときは子供たちのことを考えて・・・
~青柳さんからの電話、ほんとはどんな内容だったんですか?・・・3年前の事故と息子の関係について聞かれた。違いますか?
~無関係だと、答えました。
~せめてそのとき、あなたが本当のことを話していれば、こんなことにはならなかったはずだ。
~全て子供たちのためです。子供たちの将来をきずつけたくなかっ・・
~ふざけるな。あんたのせいでその将来がどうなった。杉野君が青柳さんを刺したとき、なぜ自主しなかったと思う?それはあんたが、間違ったことを教えたからだ。過ちを犯しても隠せばどうにかなる、3年前にそう教えたからだ。杉野君は殺人犯となり、青柳君は被害者遺族になった。それが、あなたが・・・、あんたがつくった将来だ。そんなことも分からないんだったら、あんたは教師をやめろ。あなたに人を教育する資格はない!

コメント(2) 
共通テーマ:テレビ

映画「レンタネコ」 [映画・TV]

市川実日子さん主演、荻上直子監督の作品です。

今回は、小林聡美さん、もたいまさこさんは出演されていませんが、なかなか良かったですよ。

リヤカーにネコを積んで、「いしや~きいも」のフレーズで、
「れんた~ねこ、ねこ、ねこ さびし~い ひとに ねこ かします」
と拡声器で叫びながら川沿いの遊歩道を行く主人公。

ネコをレンタルする4人の人物を通したオムニバスのような形になって物語りが進みます。

みんな、さびし~い、人たち。
それぞれに、それぞれの事情があります。

主人公本人も、ひとり暮らし。早く結婚したいと思っています。

が、それほど、焦っている様子もなく、荻上作品らしく、ほんわかしたムードもしっかりと漂っています。
レンタルしたネコを通して、さびし~い人たちが、自分の人生を発見したり、次の一歩を踏み出したり、幸せに人生を閉じたり。。。
心に空いた穴、を埋めていきます。

これは一話完結型のTVドラマになったらよいのに、と感じたのは、私だけでしょうか。
TVドラマになると、視聴率を取るために、視聴者に媚びなければいけない諸々の事情で、質が低下してしまうかも、という懸念はありますね。

レンタネコ屋はボランティアのような仕事。実は、株トレーダー、人気占い師、CMの作曲家、で大儲けしているとか。。。
ユーモアもたっぷりです。

すごい!と興奮するものは何もありませんが、面白かったですよ。
心を静かにしたい方、平和な気分になり方は、ぜひ。

コメント(0) 
共通テーマ:映画

映画「トイレット」 [映画・TV]

「かもめ食堂」「めがね」をヒットさせた荻上直子監督の作品だ。

もたいまさこさんと3人のカナダ人俳優による、舞台設定はアメリカ、の物語。
全編英語。と言っても、もたいさん演じる「ばーちゃん」には、ほとんどまったくセリフがない。存在だけで演じることのできるもたいさんは、すごい。

今、自分のブログを見て驚いた。
「マザーウォーター」だけをご紹介していた。色々とご紹介してきた思っていた。記事のなかで、ちょこちょこ触れていたのだろう。

「トイレット」には、小林聡美さんは出演していない。近くでは「東京オアシス」に出演していた。

日本テレビのドラマ「すいか」からはじまった、一連のテーマを持つ作品。
もたいまさこさんと小林聡美さんは、その中心女優さんである。市川実日子さんも。
「すいか」に出ていた小泉今日子さんは「マザーウォータ」に出演している。
男優さんでは、光石研さんと加瀬亮さんが御馴染み。

CMでも、小林さんはこの一連の作品がイメージされたものに出ている。パンのCM。
また、小林さんと光石さんは、少し前、トイレのCMに出ていた。お二人は「トイレット」には出演していないが。

こうしてみていくと、独特の世界観が、途切れることなく続いているのが分かる。

「すいか」「かもめ食堂」「めがね」「プール」「マザーウォーター」「トイレット」「東京オアシス」「レンタネコ」
「サボテンジャーニー」という日本テレビで深夜にやっていた作品もあるようだが、これは、今のところ見ることができない。小林さんともたいさんと市川さんが出演しているらしい。
見たい!

実は「東京オアシス」は今ひとつだった。

全て荻上さんの監督作品ではない。
ずっとからんでいる人は誰なんだろう、と捜したが、企画の霞澤花子さんか?
いささか謎だ。

『みんな、ホントウの自分でおやんなさい』
これは、「トイレット」のチャッチコピー、テーマだ。
そして、「すいか」から始まる一連の作品全体のテーマでもある。
それを、ほんわりやわらかく、描き出している。

私が、訴えかけているテーマとも一致する。

自分さがし、とよく言われるが、実は、そんなに必死なものではない。
本当の自分を知る、本当の自分になる、ということは、心静かに自身と対話することだ。
嘘でない自分。殻でない自分。嘘と殻を捨てた自分。
それは優しい、思い遣りの心を持っている自分だ。
自分が好きなこと、していて楽しいこと、をしている自分だ。

それを、ユーモアのなかで示してくれている映画。それが「トイレット」。

これを見て気に入られた方には、ぜひ、「すいか」から始まる一連の作品もお薦めだ。

コメント(0) 
共通テーマ:映画

「純と愛」 [映画・TV]

NHK朝の連続テレビ小説「純と愛」です。

純(夏菜)は、ホテルで働く元気いっぱいの女性。純は、ホテルに泊まった人がみんな笑顔になって幸せになってくれる、そんなホテルを経営したいとがんばっている。
愛と書いて「いとし」くん(風間俊介)は、訳ありの男性。

どんな物語なんだ?と思いつつ、何気に見るチャンスがあり、見てみると。。。

なんと、愛くんは、いわゆる霊能者だ。
というと、なんとも安っぽい感じがしてしまうが、奥が深い。

愛と書いて「いとし」くんは、いつも下向いて歩いている。仕事もまともにできない。その背景には、家族の問題があった。

なぜ下を向いているか、というと、人の顔が見られないからだ。
なぜ見られない?
なぜなら、人の顔を見ると、その人の本性が見えてしまう、から。
優しそうに振舞っている人が、実は意地悪な顔だったり。
本性とは、つまり、本音、心、というところだ。

ところが、純に会ったとき、はじめて人の顔を見ることができた。もうひとつの顔、本性なるものが見えない。そのまんまの人。
「純さん、あなたはそのままでいてください」と思わず叫ぶ愛くん。

言ってみればバカ正直な純は、仕事でもドタバタ。いわゆる大人の対応ができない。
しかし、視聴者は、純のほうが本当は正しい、と分かるはずだ。
よくあるストーリーと言えないこともないが、しかし、霊的感覚を持つ愛くんの存在が、妙にリアルで新しい。
なぜなら、現実も、その通り、だからだ。
しかし、何もかも見えていたら、道も歩けないし、電車も乗れない、というのが、現在の地球の姿だろう。
本性が見えるのも然ることながら、そこに忍び寄っているネガティブな非物質的存在が見えるからだ。
ある意味、私たちは、霊的感覚を押さえ込まれていることによって、守られている。と同時に、それが、無明をも招いている。

今、徐々に変わりつつある。
まずは、人々の心の変革が要求されている。

余談になりますが、皆様のなかに、もし、私には天使しか見えないとか、私には天使しかついていない、つまり、私の顔はいつも天使の顔、と信じて疑わない方がおられましたら、ぜひとも、注意してください。そんなことは、今は、ありえません。
人の心の針は、瞬間瞬間で、ぐるぐると回っています。思いは常に一定ではありません。
それこそ、愛くんが見たら、瞬間瞬間で別の顔が見えることでしょう。

もちろん、悪意だけではありません。
戸惑いや焦りや悲しみや嫉妬、落ち込んだり、逆に喜びすぎたりと、その顔は色々ありましょう。
ニュートラル、調和、ということの意味も自ずと理解できましょうか。

しかし、まずは、いい人ぶって悪い人、ずるい人、の構図でしょうか。本性とはそういうことでしょう。
私が、こちらのサイトで訴えかけているのも、これです。
本当の自分を知る、とは、この部分の自分も知って、それから、本当の本当の自分を知っていくこと、です。この部分の自分は、実は本当の自分ではなく、殻を被った自分なのです。本当の本当の自分は、宇宙とつながっている自分です。

さて、この物語、どう展開していくのか。
愛くんの妹は、においを感じるタイプ。臭くてたまらないので、いつもマスクをしている。しかし、純はにおわなかった。
先週発覚したのは、愛くんのお父さん。純と話して、耳鳴りがしない、と驚く。どうやら、ネガティブな人たちの声を聞くと耳鳴りがするようだ。
おもしろい。

コメント(0) 
共通テーマ:学問

「ザ・シフト」② [映画・TV]

前回の記事、なぜあのような語調ではじまったのか。
それは、この映画を見れば分かる。
まさに、その雰囲気。

自己啓発やスピリチュアルを映像にしようとすると、なかなか難しいものがあるだろう。インタビューの寄せ集めだったり、説教臭くなったり、うっかりすると、カルト教団のPRビデオかと突っ込みたくなるかもしれない。

例えるなら、こちらでも紹介したことのある映画のシリーズに似ている。
それは、「すいか」から始まった、小林聡美さんとその仲間たちが演ずるところの摩訶不思議な映像の世界、物語。
「めがね」「マザーウォーター」が特に似ているだろうか。
と私が言うと、ある人が言った。
ということは、興味のない人は途中で寝る映画だね、と。

この雰囲気はとてもいい。安寧の波動だ。
人は、この穏やかな波動のなかにのみいることができればよいけれど、しかし、肉体を持った私たちには、地上での生活がある。

(予備知識のないままこの映画を楽しみたいという方は、以下は読まないでください)



美しい海岸沿いにあるコテージ。そこに集まった人々。目的は様々。
ダイアー博士もいる。博士が執筆している新刊本へのインタビュー映像を撮る映画監督とスタッフたち。
新しいプロジェクト、希望の家、なるものについての説明会。それに出資を求められている大金持ちの社長とその妻。
日々子供と夫の世話に明け暮れている若い奥さんと夫、そして、二人の息子。
大金持ちの社長の会社を以前に解雇されたというミュージシャン。

ダイアー博士は、人生と宇宙について、淀みなく、語っていく。
価値観の変化する瞬間が誰にでもあること、誰でも源(ソース)とつながれること、この世的欲望に振り回されないで生きることがどんなに自由で穏やかなことであるか、を説いていく。

昔の日本人はよく言ったものだ。
三途の川を渡るとき、その川を覗いてごらん。そこには、偉そうな肩書きのついた名刺やお金がたくさん落ちているよ、と。
つまり、あの世には、それらのものを持って帰ることができないのだよ、ということだ。
私たちはそれを知っている。それなのに、地位や仕事や財産による優位性を追い求める。それが、人生の成功だ、と。自分の満足なのだ、幸せなのだと。

確かに成功は成功だ。
地位や財産が悪いわけではない。とくにお金は大事だ。それがないゆえに、この世的苦難に心を縮めてしまう人もいる。
ダイアー博士本人も、ベストセラー作家であり、講演その他で大儲けしているのだから、成功は、地位でも財産でもない、などと呑気なことが言えるのだろう、と反発する人もいる。
それも一理ある。
映画の登場人物のひとりである映画監督は、まさに、インタビュー映像を撮りながら、そのような疑問を呈す。
彼もまた、映画監督としての名声を勝ち取り、財産を築きたいと、賢明になっている人である。

この映画スタッフたちは、ダイアー博士の話を聞きながら、次第に引き込まれ、そして、自分自身を見つめ、シフトへと導かれていく。
仕事が思い通りにならないと足掻いていた監督も、夜中にラウンジでピアノを弾く清掃員の男との出会いもあり、人生に逆らわず、エゴを捨てることに、シフトしていく。すると、映画のインスピレーションがたくさんやってきた、と、この映画の最後には、人生に、魂に目覚めた人の仲間入りをしていく。

お金持ちの社長は、子供ができたという妻と喧嘩をする。子供がほしくないのだ。妻はレストランから飛び出し、夫のカードも携帯も持ったまま、車で帰ってしまう。
ワインを掛けられてしみのついたシャツのまま、コテージへと歩いて帰るお金持ちの夫。
途中、公園のベンチに座っていると、ペットボトルなどを集めてお金に変えているホームレスの若い男に会う。男は「お金ある?」と尋ねる。「今なはい」と答えるお金持ちの社長。男は、6ペンスをくれる。社長が、携帯電話を持っていないか、と尋ねると、持っていない、そんなもの必要ないという男。タクシーを呼びたいと言うと、ペットボトルをくれる。それを機具に入れればお金が出てくるよ、と。社長が男に、どこに住んでいるのか尋ねると、あそこ、あそこ、と公園のなかを指差す。とくにあの木の下はいい、と「大きな木」を指し示す。
そのあと、ようやくコテージに辿り着き、妻に謝る。翌日、妻に花をプレゼントしようと庭へ行く。庭師に、花屋が近くにないかを尋ねる。花ならあげるよ、と言う庭師。野生のバラをもらう。チップを渡そうとすると、いらないと言う。じゃあ、オーナーにキミのことを伝えておく、と言うと、庭師が言う。私がオーナーだ、と。

この「オーナーの男性」と「木」は、映画のカギとなっている。
そもそも、社長の男は、たかが木の問題で仕事を中断できない、と、コテージに来る前、社長室で怒鳴っていた。
映画監督が話をした元ピアニストの清掃員は、このオーナーだ。

社長は、オーナーに、会議の代表に渡してほしいと、小切手を渡す。ただの紙切れだ、と言いながら。希望の家は、ホームレスを支援する団体だ。

子育てと夫の世話に追われている若いお母さんは、ここの美しい風景と、オーナー(と分かっていないが)、そして、ダイアー博士との出会いのなかで、かつて自分が絵を描いていたことを思い出す。
夜、ホテルの部屋に戻ると、スケッチの道具が棚に置いてあった。
絵を描きたい衝動には逆らえない。夢中になって、コテージの周囲、海辺で見てきた美しい樹木を描く。
翌日、1週間ここに残って絵を書きたいと、夫に申し出る。
このくだりは、よく見ていないと分からない。どうしてスケッチの道具が部屋に突然?と思う。物質化現象か?いや、違う。もう一度見て分かった。庭師に話していたのだ。ホテルのオーナーに。昔、絵を描いていたのよ、と。

あるがままに生きること。
本当の自分を生きること。
宇宙とつながって生きること。

シンクロニシティは、人生の様々なところで起きている。
それに逆らわないことだ。
チャンスの女神とは、このことだ。

まずは、本当の自分を思い出すこと、である。

上手に出来た波動の良い映画です。
ぜひ、一度、ご覧になってみてください。

ちなみに、
大金持ちの社長の会社を解雇された経理部の元社員は、解雇のお陰で道が開けた、と、社長の妻に話していました。

このDVDを貸してくれた友人に感謝!
そのシンクロニシティを用意してくれた、もうひとりの友人、さらにここまで出会ってきた多くの人々、そして、宇宙に、Thanks a lot!
おっけ~!

ps
オーナーはなぜ、ピアニストをやめたのか。
映画を見てみてください。

コメント(2) 
共通テーマ:学問
前の10件 | - 映画・TV ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。