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「マザーウォーター」 [映画・TV]

これから見るから教えないで、という方は読まないでください。

小林聡美、もたいまさこ、等、日本テレビのTVドラマ「すいか」から始まる一連の作品のなかの一番新しい映画作品です。

「すいか」「かもめ食堂」「めがね」「プール」「マザーウォーター」。
このなかで、どうやら、世間では、一番評判の良くない作品のようです。
「すいか」も、当時、視聴率は非常に悪かったらしく、私の友人などは、〇〇〇〇〇みたいな低俗な番組の視聴率ばかり高くて、こういった洗練されたものに人々の目が向かないのは、極めて残念だ、と嘆いていました。
しかし、「すいか」は、視聴率は低かったものの、その後の評価は高く、様々な賞を獲得しているようです。

「マザーウォーター」を見てつまらないと思った人の感覚として、上記の作品の順番どおりに、ストーリーがなくなっていく、退屈さが増していく、ということがあるのではないでしょうか。
全ての作品の大ファンである私自身も、それはその通り、と思います。
「プール」「マザーウォーター」にいたりましては、わあ、すごいなぁ、この映画、物語がない、淡々とし過ぎてる、と、思わず声に出してしまうほどです。

あるがまま。
それが、これら作品に流れる感覚でしょう。

そして、これは、アセンションの映画だ、と、思わず思いました。

作り手たちは、気づいていないかもしれません。
が、自ずとその道を歩んでいるのであり、あるいは、そのようなインスピレーションを受けているのでしょう。

もちろん、この世的に捉えることもできます。
が、「マザーウォーター」にいたっては、霊的感覚が非常に色濃く現れています。

この淡々と退屈気な雰囲気は、スタートレックのQ連続体(とても進化した存在たち)の世界とも似ています。

「すいか」では、人生について考え、自分自身の問題やトラウマと向き合います。
「かもめ食堂」では、自分の好きなことをはじめます。
「めがね」では、また少し、自分を見つめ返します。
「プール」では、心の赴くまま、やりたいことをやりたいときにやります。しかし、それを理解できない人がまだいます。

「マザーウォーター」では、すでに、人々は、それぞれに好きなことだけをしています。
ずっとここにいるんですか?
川は流れている。
はじまったね。
行ってみようか、今。

はじまったね、は、男性が自分についてあれこれ評価している場面で言われます。
行ってみようか、は、自分たちはどこから来たのか、を話し合っている場面、別のところに行って初めて分かる、などと言っている場面~それは、映画の最後なのですが~で言います。

これらは、いわゆる霊界の風景、と見ると、深い解釈ができます。
理解と気づきによって、存在する場所が変わっていく、ということを示唆しています。
お店でお金を置いていく人は、まだ、死んだばかりの人、でしょうか。
「めがね」では、もたいまさこ演じる、砂浜のカキ氷屋さんでは、お金が通用しませんでした。自分の得意なものなどを置いていく、そのことを、小林聡美演じる主人公の女性が教えられていきます。

心穏やかに生きる、ただ存在する、やりたいことだけをやる、新しい世界、ということを、あえて、映像化してくれています。
重ねて言いますが、作り手たちは、そのことに気づいていないかもしれません。
また、そこまで深く考えなくとも、という受け手もいることでしょう。

これを読んでいただいて、見たくなった方がおられましたら、幸いです。
「かもめ食堂」から順番にご観賞されますことをお勧めいたします。

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